良いものは良い 第3章: 「きちんとした仕事」の価値

【連載】良いものは良い - 価値ある生活を、カヴァースと -
- 【第1回】 良いものは良い 序章: 戸惑い
- 【第2回】 良いものは良い 第1章: 良いものを知る心と、現実
- 【第3回】 良いものは良い 第2章: とても良い家具
- 【第4回】 良いものは良い 第3章: 「きちんとした仕事」の価値 ←今回はココ
- 【第5回】 良いものは良い 終章: 新しい風
第3章: 「きちんとした仕事」の価値
介護の世界は近年、変化と躍進を続けている。
もともと、介護施設は「措置」で入る場所だった。利用者の意志や思いは反映されず、社会から隔離させるために施設に入れているようなものだった。
その措置制度が今の契約制度になり、介護についての考え方も大きく変わった。
尊厳。
利用者主体。
今の介護は、この考え方がベースになる。
(なんて良い考え方なんだろう)
綺麗ごとでは済まないことだ。
対人間、それも、自分の倍以上生きている人たちが相手なのだ。更にその人たちの後ろには家族などの人間関係が絡んでいる。お金、その人の考え方、性格、人生での苦労。いろいろなものがぎゅっと詰まって、それを受け止めるのが介護士の仕事である。
ただ、排泄介助だけしていればいいわけじゃない。
ただ、食事を口に入れればいいわけじゃない。
ただ、お風呂に入れて洗えばいいわけじゃない。
そこに介護の本質がきちんと入っていなければ、それは介護の仕事ではない。そこに介護士はいらない。
けれど、それをはき違えている介護士は多い。

どうしても介護業界は人手不足だ。
「人が入ってくれるなら、経験や資格なんか、もういい。下手に資格があっても、そのぶん時給が上乗せされる。この際、安く働いてくれる未経験の人で良い」というのが施設の考え方で、来る人は拒まず、誰でも採用してしまう。
給料は安いが、手軽に採用してもらえる職種なので、にわか介護士がたくさんいる。
(羽黒さんと大井さんのことは、氷山の一角だなあ)
つくづく、思う。
良いものは良いとしっかりした目を持たなくては、これから介護は良くなっていかない。
「ほんとに、カヴァースって、そのへん貫いているなあ」
最近、主人がカヴァースを推しているので、わたしも何となく、カヴァースのサイトを見るようになった。
サイトを眺めて、「良いものは良いんだよなあ」と呟く。
職人が必要な工程を決して端折らず、丹精込めて作る家具。
きちんと考え方を理解し、ひとつひとつの仕事を大事に進める介護。
共通するものを感じる。

次期リーダー問題は、意外に早く結論が出た。
その時わたしは子供が熱を出したため、四日間ほど休みをもらった。休み明け出勤すると、職場では色々なことが変わっていた。
「時田さん休んでいる間に、色々あったんだよ」
かなちゃんが教えてくれる。
子供の看病で大変だった時に、ラインを控えてくれたのは有難かった。
そのかわり、出勤した矢先から、だーっとすべてを語られてしまった。
フロアミーティングが行われ、次期リーダーを決めることになった。
その時、同席していたのは主任と、時々フロアに手伝いに入ってくれるケアマネージャーである。
羽黒さん、大井さん、金山さんと、かなちゃん、他、パート職員が三名。
最初、羽黒さん派が有力だった。主任も、羽黒さんの力に恐れをなし、自分にしっぺ返しが来るのを恐れているので、「まあみんなが良いというなら羽黒さんにお願いしたら」と言っていたという。
(あの、ヘタレ男~)
それを聞いて、わたしは内心、毒づいた。
かなちゃんは「経験年数や信頼できる仕事をされるということで、わたしは大井さんを」と、精いっぱい勇気を出して言ってみたそうだが、場を覆すことはできなかった。
その時、ケアマネージャーが「この間、利用者の家族から大井さんへの感謝を聞いたよ」と口を挟んだ。「看取りで亡くなった某さんのご家族だけど、あの職員さんのお陰で安心できたって言葉を貰っています。まあ、その一件だけじゃないんですけれどね、大井さんはご家族からすごく評判いいですよ」と続けて言ったという。
しいん。
主任は気まずそうに視線を泳がせ、羽黒さんは「これから大変な利用者は全部大井さんに任せよっと」と呟き、周囲に対する圧力を高めた。「介護は綺麗ごとじゃないの、家族の機嫌なんかとってられないよね。現場が楽しなくちゃどうするのよ」という無言の圧力だ。
大井さんは微笑んで「それはそれは~」と、お辞儀をした。大げさに喜ぶでもなく、卑屈になるでもなく、自然な様子だったのだろう。
その時、意外な人が声を上げた。
「大井さんじゃなくちゃ、駄目です。大井さんがリーダーにならないなら、わたしは辞めます」

ハア、と、羽黒さんが怖ろしい顔をした。
パートさんたちは驚いて目を丸くしていたという。
金山さんがかちこちになって、目を潤ませ、どもりながら手を挙げたのだ。
「本当はわたし、もう辞めていいって思ってるんですが、大井さんがリーダーになってくれるなら、続けられます」
とまで、金山さんは言った。
羽黒さんは凄い目で金山さんを睨んだが、金山さんはもう、その目を恐れなかった。
辞める覚悟ができた人間は強い。
なんなら、今この場でここを去っても良いのだと言う気迫が金山さんから溢れていたそうだ。
「その後、大変だったよー」
かなちゃんはこれでもかと言うほど細かく報告してくれた。
その後、主任から金山さんに「自分の思いばかり語って、感情的になるなら黙るべきですね、ここはミーティングの場なので」と圧力がかけられ、金山さんは黙るほかなくなった。
しかし、次はパートさんたちが遠慮がちに「大井さんでいいんじゃないでしょうか」という意見が上がり始めたというのだから、驚きだ。
みんな、羽黒さんをちやほやしているように見えて、心の中では分かっていたということだろう。
「ここは勤務年数を考慮して」
という、ずいぶん言い訳めいた理由で、大井さんが次期リーダーに選出された。
羽黒さんに遠慮して、後ろ向きな決定になってしまったが、「決まったもんは決まったのよ」と、かなちゃんは言う。
「羽黒さん、大井さんに従ってくれるかな」
一番気がかりなのはそこだった。
しかしかなちゃんは「大丈夫」と、大きく頷いて言った。
「大井さんは、羽黒さんが何を言っても、何をしても、自分を変えないよ」
まあ、相変わらず羽黒さんは幅を利かせているのだが、変わらないことにかけては大井さんも同じなのだ。
「そのうち、現実が証明してくれると思うよ」
かなちゃんは言う。
「良いものは、良いんだって」