第1話: 日本で唯一の曲木専門工房「秋田木工」 曲木とともに歩んできた110年

日本で唯一の曲木専門工房「秋田木工」 曲木とともに歩んできた110年
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カヴァースメディア部

秋田県には、日本で初めてユネスコ世界自然遺産に登録された白神山地がある。そこには、人為の影響をほとんど受けていない、世界最大規模の原生的なブナ林が分布している。ブナは曲木家具には欠かせない存在であるため、秋田は曲木家具生産に適した土地と言えるるだろう。

秋田木工は、白神山地の南に位置する秋田県湯沢市で1910年に創業。創業以来、日本で唯一「曲木(まげき)」と呼ばれる技術を専門として、100年以上の歴史を築いてきた。

「秋田木工、この会社は只者ではない」

そう感じさせる理由は、その長い歴史の中で生まれた唯一無二の技術力に他ならない。世界遺産を有する土地で、秋田木工は国宝とも呼べるであろう「曲木の技術」を100年以上掛けて培ってきたのだ。

木を変幻自在に曲げる「曲木」とは

秋田木工を語るには、まず「曲木」とは何なのか、ということから説明するべきだろう。

例えば、このチェアの脚、背もたれ、座面は全て曲線で構成されている。このようなチェアを作るためには曲線の木材が必要だが、どうしたらよいだろう。そう、木を曲げればいいのだ。

しかし、木を普通に曲げようとすると当然折れてしまうので、曲線を作るためには木を折らずに曲げ、かつその曲げた状態を木に記憶させなければならない。このようなチェアであれば、こちらの意図した通りに、体のラインに合うよう、木を曲げて記憶させなければいけないということだ。「曲木」とはこのように木材を曲げる技術を指す。

「曲木」の歴史は、実は約200年前にまでさかのぼる。1840年頃にドイツ人の家具デザイナーであるミヒャエル・トーネットにより発明された技術と言われており、「No.14」と呼ばれているトーネットの代表的なチェアは、2億台以上販売され人々に愛された。

日本では江戸時代だったが、ヨーロッパではこの頃、この「曲木」の技術がモダンスタイルの原点とも言われ、大いに流行っていた。そしてその後、日本では江戸時代が終わりを迎え、明治時代に入ると、文明開化とともにヨーロッパの家具や技術が伝えられるようになった。そして、この「曲木」の技術や商品が日本にやってくるようになったのだ。

日本人はここで初めて「曲木」の技術を目にすることになったのだが、その家具の美しさやその技術に衝撃を受けると同時に、「この技術で日本でも家具を作ることはできないのか」と考えるようになった。「曲木」に使える木材は、「柔らかさ」と「耐久性」という相反する特徴を兼ね備えなければならず、それを満たせるのは「ブナ」と「ナラ」のみだ。日本には、白神山地に代表される豊富に木材が育つ環境がある。そこで「曲木の技術をぜひ日本の家具作りにも活かしたい」と、国策としてドイツに「曲木」の技術を習得するために、技師が派遣されるようになった。日本でも「曲木」の技術を使った家具が作られるようになったという訳だ。そんな中、1910年、白神山地という恵まれたブナの原生林を持つ秋田県で秋田木工は誕生したのだ。

有名デザイナーが惚れ込んだ曲木の技術

日本で唯一の曲木工房である秋田木工の技術力は、デザインのプロ達をも唸らせてきた。創業100年以上の卓越した職人技が生きた家具達は、数々の有名デザイナー達を虜にしてきたのだ。その代表例を挙げればきりがないが、例えば20世紀に活躍した最も有名なインダストリアルデザイナーである柳宗理や剣持勇もその1人だ。現代では、東京オリンピック2020の聖火台のデザインをした佐藤オオキ、「イタリア人以外で初めてフェラーリをデザインした男」として有名な奥山清行など、数々の有名デザイナーが秋田木工のその技術に惚れ込み、秋田木工とともに家具を作ってきた。秋田木工の技術は、多くの有名デザイナーの目から見ても確かなものであった、ということだろう。

それ以外でも実績を挙げればきりがないが、1966年には木製チェアの分野で日本で初めてグッドデザイン賞を受賞、2000年からは宮内庁のチェアとして採用、現在は高級寝台列車である「四季島」にも採用されている。また、数多くのデザイナーやホテル、商業施設でも秋田木工の家具達が選ばれており、その経歴は非常に華々しいものだ。

ここまで時代を超えて愛される逸品。使ってみたいと、興味を持たずにはいられない。不朽の名作からモダンデザインまで、生活に自然と馴染んでくれる佇まいも魅力と言える。そっと私達の生活に寄り添ってくれるぬくもりある家具達は、曲木に人生を懸けてきた職人達の技術力の結晶なのだ。

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