祝福のかたち 序章: 新たな命

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カヴァース小説部

【連載】祝福のかたち - 家族を見守る椅子、秋田木工 -

序章: 新たな命

 その椅子は、見ているだけで力が湧く。

 触れると、自分の歩いてきた道、これから歩んでゆく遥かな道を交互に見たくなる。

 なによりその椅子は、おじいちゃんの匂いがする。

 その椅子が、110年の歴史がある、秋田木工の職人の手によるものであることを、後になって、わたしは知った。


 まあ、うちのような家族構成自体、このご時世、ありえないのだけど。

 (四人姉妹って、若草物語じゃあるまいし)

 東家は、もとは八人家族だった。おじいちゃんおばあちゃんと、パパとママと、わたしたち四人姉妹。

 だけど、年月が経つごとに人数が減る。まず、おばあちゃんが亡くなった。それは、一番上のかおり姉ちゃんが小学校高学年の時だった。わたしは次女で、ゆかりと言う。わたしもおばあちゃんの葬式のことは覚えている。けれど、妹たちの場合、だいぶ記憶が曖昧になっているようだ。

 ちなみに三女はみのりで、四女はさおりだ。全員「り」が付くのがポイントである。多分これは、語呂合わせ的な何かだろう。

 おばあちゃんが亡くなってから、しばらくの間、東家は七人家族だった。このままずっと七人で続いてゆくのかと思っていたくらい、その時代は長かった。

 もちろん、その長い年月の間、おじいちゃんとママの折り合いが悪くなった時期があったり、まだ学生のかおり姉が不純異性交遊にあけくれ、外泊が続いたりとか、色々なことがあった。けれど、結局七人家族はなんとなくもとの鞘に収まり、気が付けばやっぱり、大きな長いテーブルにみんな並んで、同じ食事を取っているのだった。

 

 去年、おじいちゃんが亡くなった。

 ちょっと倒れて病院に搬送され、入院することになったって、と、ママから聞かされたその晩、亡くなった。

 あまりにも急だったので、しばらくわたしたちは、おじいちゃんがいない状態に慣れることができなかった。家に帰れば七人家族のような気がしていたし、ぼうっと考え事をしながら用意した食卓には七人分の食器が乗っていたりした。

 

 だから、おじいちゃんの部屋はそのままになっていた。

 病院に運ばれる直前まで読んでいた雑誌とか、使っていた眼鏡とか、ぜんぶ、そのままだった。

 そのままにしていれば、またいつかおじいちゃんが戻ってくるかのような気がしていた。

 それくらい、東家は七人家族が当たり前だった。

 「もう六人家族から増えることはないんだよね」

 もうじきおじいちゃんが亡くなって一年がたとうとする頃、さおりが悲しそうな顔をして言い始めた。さおりは、女優気取りなところがあるのだ。

 さおりが言うまでもなく、いい加減、おじいちゃんが亡くなって一年が経とうとしているし、そろそろ六人生活に慣れようかな、と、家族全員が思い始めていた時に、それは起こった。

 まさに青天の霹靂。

 びっくり仰天、という言葉じゃ表し切れないような衝撃が東家四姉妹に走った。

 まず、最初のその知らせを受けたのは、在宅ライター兼家事手伝いをしているわたしだった。はああん、と、不良が教師に向かい顎を持ち上げるような反応をしてしまった。

 次に、中学校から戻ってきた四女のさおりが知った。わたしからそれを聞かされた時、さおりは髪の毛を梳いていたところだった。最初、なにかのテレビドラマの話かと思ったらしく「そんな月並みなの、流行んないよ」と言っていたが、それが現実であることを知った途端、「ぶちい」と、力任せに櫛を動かして、おかげで相当な本数の髪の毛が引っこ抜けた。

 高校から戻ってきた三女のみのりは、淡々とそれを聞いた。それから非常に冷静に「どうするんだろうね」と他人事のようにつぶやいた。

 一番最後に知ることになったのは、四人姉妹のトップ、長女のかおり姉である。かおり姉は濃い化粧をした顔を、一瞬引きつらせた。かおり姉の反応を、三人の姉妹はじっと凝視した。次にかおり姉の相好が崩れ、「ヒィィィィィィィイ」と、妖怪めいた爆笑が破裂したのだった。

 「うそでしょ、冗談きっつ、いや、マジなわけ、うわーうわー」

 ひとしきり転げまわった後、笑い過ぎて化粧が崩れた顔を引きつらせながら、いきなり冷静になった。

 「大変になるわよ」

 かおり姉の言葉に、わたしたちは皆、頷きあった。

 そうなのだ。

 一言でいえば、「大変」なのだ。この事態は。

 まあ、めでたいことなのだけど。普通ならば。

 普通ならば、だ。

 「しっかし、ギネスに挑戦できるんじゃね」

 と、さおりが突然、ヤンキーをチャネリングした感じで、斜に構えた言い方をした。

 「上には上がいるよ。もの知らずだよねアンタは」

 ぴしゃっと、みのりが言った。

 「はいはいはい、やめなさい、ベスにエイミー」

 ぱんぱんと手を打ちながら、かおり姉は言った。ベスのみのりと、エイミーのさおりは、今にも口喧嘩をしそうになっていたのを止めた。ちなみにベスやらエイミーは「若草物語」に出てくる姉妹の名前である。なにかあると、かおり姉はみのりとさおりを、この名前で呼ぶのだ。

 それにしても、確かに、喧嘩をしている場合ではなさそうだった。全く、なんという事態か。

 (ははは、すごーい)

 わたしは、そろそろ夕食のギョウザを焼きたかった。ニラとニンニクの匂いが台所に満ちている。実においしそう。

 誰かのおなかがグウと鳴った。

 

 「そういえば、当人たちはなにしてんのよ」

 さおりは、はたと気づいて言った。

 当人たちとは、この場にいない二人、つまりママとパパのことだ。

 

 もう、言い合っている時間はなさそうだ。さっさとギョウザを焼いてしまいたい。いつまでも台所が片付かないのは困る。

 よく熱したフライパンに油をひき、ギョウザを並べてゆく。じゅうじゅうと良い音がしてきたところで、わたしは言った。

 「外食するらしいわよ。今夜は特別だから、こういう時くらい二人でデートするんだってさ」

 姉妹たちは黙り込んだ。

 誰かが、のんきだなあ、とぼそっと言った。それは、わたしたち四人の思いを代弁していた。

 還暦を超えた父。

 還暦近い母。

 まあ、旧約聖書でも、超年寄りが子供を作った、とかいう物語があったような気がするし、ありえないことではないのだろうけれども。

 だけど、この期に及んでまたか、と突っ込みを入れたい。

 要するに、母は妊娠した。

 わたしたち四姉妹に、もう一人、下ができるというわけだ。

 「お祝いしないとなー」

 スーツを脱ぎに部屋に行きながら、かおり姉が言った。

 大変だろうと、世間体がどうのということよりも、まずは、お祝いだろう。

 

 こうして我が家は、また七人家族に戻ることになった。

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