へそまがりの美しきカーブ 第2章: アキタコマチは、固い馬

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カヴァース小説部

第2章: アキタコマチは、固い馬

 わたしの乗馬人生ーーというほど大げさなものではないけれどーーの最後を飾ることになる、地域の大会。

 わたしにあてがわれた練習馬は、アキタコマチという牝馬だった。

 「うわー」

 と、思わず呟くと、「乗れるだけでありがたく思うべきじゃないんですか、馬乗りならば」と、訳の分からない言いがかりが返ってきたので、それ以上言わなかった。

 

 よりによって、お前か。アキタコマチよ。

 真っ黒な顔をしたその馬は、結構な年齢だ。もう18歳である。しかし、若い頃はスピード&ハンドネスという障害の競技で、良い成績を打ちだした馬だ。

 (って、言ってもさ)

 アキタコマチの場合、猛烈な勢いで障害に突っ込んでゆき、鼻息荒く飛ぶ。上に乗っている人間を振り落とす勢いで我を忘れて次の障害に突っ込み、おりゃっと飛び越える。

 みっともない。だけど、速い。

 一位を取っても、みんな「うわーヨカッタネ」と口では言いながら、内心、苦笑いをしている感じだ。

 成績だけを取りに行くなら、アリかもしれない。

 だけど問題は、最近のアキタコマチの状態である。

 体が、固い。

 それはもう、大変に固い。

 「こらー」

 と、馬上で言いたくなるほど、カーブを切ることができないのだ。

 それは、わたしも上手な乗り手ではないが、それにしても、どんどん酷くなっている。

 そのポイントで曲がって欲しいのに、どうしても曲がり切れない。大きくふくらんで曲がってしまい、結局、時間のロスを作ってしまう。

 乗り手は手綱で曲げようとするが、馬は虚しく「くねっ」と首を曲げるだけで、体はまっすぐに直進してしまう。

 まるで、馬鹿にされているみたいな乗り心地なのだった。

 わたしが馬場を使うことができるのは、選手として見込まれた子供たちの練習が終わった後である。どうしても、ごく早朝か、すっかり日が落ちてから、馬場の明かりをつけてその光を頼りに乗るしかできない。もしくは馬場の片隅を少し歩かせるくらいだった。

 しかし、この頃は嫌がらせに拍車がかかり、暗くなってから馬場を使うことに関しては、「光熱費がかかるんですけれどね」と、別途請求をしてくる有様となった。光熱費といっても、わたしが仕事にいっている昼間などは、選手たちがクラブハウスを使っているのだし、なにもわたしだけに請求が上乗せされるのは納得がいかない。

 

 「おっかしいんだよね」

 うちで、ぼそっとお姉ちゃんに愚痴っみたら、

 「何をいまさら言ってんのよー。あんた、この状況おかしいとこだらけよ。やっと気が付けたのなら、いい兆候だわ」

 と、言い放たれた。

 自分としては、まっすぐ一直線に突き進んでいる気持でいるのに、現実はくちゃくちゃに曲げられ、もう、元の姿も分からないくらいに歪められているのに違いなかった。

 「そんなふうに思うなんて、あまりにも被害者妄想にすぎる」

 と、自分で自分が嫌になる。

 誰も悪くない、こんなふうになってしまうのは、現実の何かがすごく皮肉なふうに働いているからだ、と、無理やり蓋をした。そして、どうせもう最後の大会なんだから、光熱費くらい今月分は黙って払おう、と、思ったーーまあ、馬鹿にならない出費だったのだけど。

 (わたしは、どうしてこんなことになっているんだろう)

 ただ、頑張っているだけなのに。

 一方、アキタコマチである。

 カーブを切ることができない。無理にカーブを切らせようと手綱を雑に扱えば、ヒステリックに突っ走り始める。

 しかし、なぜこんなに扱いにくくなったのだろうと思う。少し前までは、あまり鍛錬を積んでいない子供でもアキタコマチで大会に出れば、障害を勝手に飛んでくれるから簡単に勝てる、と、ある意味もてはやされていたものだ。あの頃、確かにアキタコマチは、鋭角のカーブで障害から障害へ近道をしようとしたら、忠実にそれをやってのけていた。

 しかし、今は。

 (曲がらない・・・・・・)

 光熱費を搾り取られてから嫌気がさし、絶対に暗くなってから乗るもんかと思ったわたしは、仕事に行く前、乗るようになった。

 早朝の馬場は新鮮な空気に満ち、まだ選手らが活動していない気楽さがある。そして、障害が並んだ馬場が使い放題なのだ。

  

 誰もいないときに突っ走られるのも嫌なので、用心深くアキタコマチにまたがる。そして、入念に準備運動をさせた後、体のストレッチのために、首をうんと曲げ、くるくると回るように歩かせる。だめだ。まるで、つっぱり棒のような感じだ。回る円がある程度小さくなると、とたんにアキタコマチは反抗を始めるのだった。

 「おまえ、頼むよ。最後の大会なんだよ」

 手入れをしながら話しかけるが、アキタコマチは静かに空を見上げるだけだ。

 馬の顔にも、老いは見える。はじめてアキタコマチを見た時に比べ、毛色が淡くなったような気がした。


 仕事を終え、うちに帰り、おばあちゃんの部屋に入る。

 あの、古いテーブルセットは相変わらずそこでわたしを待っていてくれた。

 「ゆきちゃん、大丈夫だよ」

 おばあちゃんが椅子に座り、微笑んでいるような気がする。

 

 大丈夫じゃないのよおばあちゃん。わたし、これじゃあ未練が尾をひいて、このおかしい状況から抜けられないわ。

 おばあちゃんの幻と向き合い、秋田木工の椅子に腰かける。涙が零れそうになる。

 どうしよう。アキタコマチが曲がってくれない。

 「曲がることを許されず、ただ突っ走らされてきた気持ちを、ゆきちゃんなら分かってあげられる」

 そんな言葉が返ってきたような気がした。

 わたしははっとした。

 曲がることを許されず、ただ突っ走らされてきた。

 腑に落ちる言葉だった。一瞬のうちにわたしは、今まで見てきたアキタコマチの姿をあれもこれもと思い出してしまった。

 ぎゅうぎゅうと手綱をひっぱることしか知らない初心者に乗られ、ただただひたすら目の前の障害物を飛越させられている姿。

 どうせお前は突っ走ることしかできない馬なんだよな、と、選手から笑われている姿。

 アキタコマチの静かに空を見上げる横顔が脳裏をよぎった。

 

 ただ、突っ走らされてきたのは、わたしも同じ気がする。まあ、わたしの場合、自業自得の要素が強いのだけど。

 目の前のおばあちゃんの幻は「分かったね。ならきっと大丈夫だよ」と頷き、すうっと消えた。

 

 わたしは、秋田木工の椅子に手を触れた。指を滑らせると、椅子のあちこちにある心地よいカーブが「がんばれ」と励ましているような気がした。

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