思いは実現する 第1章: ナナコの事情
【連載】思いは実現する - おばあちゃんのフランスベッド
- 【第1回】 思いは実現する 序章: ホワイトアウト
- 【第2回】 思いは実現する 第1章: ナナコの事情 ←今回はココ
- 【第3回】 思いは実現する 第2章: 思いは叶う
- 【第4回】 思いは実現する 終章: 手紙
第1章: ナナコの事情
パチパチと火が燃える音が聞こえた。
あれ、わたしはどこにいるんだろう。
目が覚めた時、強烈なデ・ジャ・ヴュに襲われる。自分が何歳なのか、ここがどこなのか定まらない感じ。一瞬、「いけない、遊びすぎて疲れて寝ちゃったんだ。パパやママ、おじいちゃんやおばあちゃんのところに行かなくちゃ」と思った。
だけど現実のわたしは中学生になっていて、おじいちゃんは去年、亡くなっている。
はっと起き上がると、その素敵なベッドが、ごく穏やかに、体の下で弾んだ。この頼りがいのある感じ。ノスタルジックな夢を見てしまうような懐かしい寝心地。
もしかしたらと思って、茶色いベッドフレームを調べてみたら、「フランスベッド」というロゴがあった。あっ、やっぱり、と納得した。
確かわたしは、雪の中で倒れたはずだ。
小さな寝室。なにか見覚えがある。音を立てて燃える暖炉の上には、白い陶器のお人形があった。
「おばあちゃん、あれ、妖精さんかな」
「さあ。天使なんじゃない」
そんな会話が蘇る。ああ、ここに来たことが確かにある。戸惑いながら部屋の中を見回していると、ノックされて扉が開いた。お手伝いの田中おばさんが現れ、そこでカッチリ頭の中で何かがはまった。
鷹森のお家だ、ここは。間違いない。
いつもここに遊びに来るのは夏だったから、暖炉が使われているのを見たことがなかった。だから、別世界のように感じてしまった。
「ナナコさん、大きくなってぇ」
田中さんは、ちょっと涙ぐんでいた。「良かった、気が付いたんですね。雪の中で倒れているのを、アキラさんが見つけたんですよ」
わたしは笑顔を作った。「突然ごめんなさい。こんな雪になると思わなかったの。ちょっと遊びに来たくなって。パパもママも知っているから」と、適当な言い訳をしておいた。
田中さんは何か言いたそうな顔でわたしを眺めていたが、やがてため息をついた。なにはともあれ、無事でよかったと何度も口の中で呟いた。
「アキラさん、いるの」
「おられますよ。書き物のお仕事中です。お静かにね」
田中さんは念を押すと、ホットミルクを持ってきますと言って部屋を出た。ほうっと息が漏れた。やっぱり鷹森のお家だ。無事に到着できたんだ。フランスベッドに寝そべって、ゆったりと体を伸ばした。全身が温かで心地よい。びちびちと窓ガラスが音を立てているが、外は凄い吹雪なのだろう。
(心配しているかな)
パパとママのことが浮かんだが、ぶるぶるとかぶりを振る。弱気になってはいけない。一大決心をして家出をしてきたのだ。今、連絡をしてしまったら、何もならない。
トントンとノックされた。田中さんかなと思ったら、入ってきたのが綺麗な女の人だったので驚いた。
「気が付いたのね、良かったわ」
女の人は優しく言った。ベージュのスーツ。ひとつにまとめた髪の毛。全体的にとても地味だけど、スタイルが良いし、目鼻立ちが整っている。
「初めまして。鷹森先生の秘書をしている大木ハルカといいます」と、自己紹介された。
鷹森先生。あ、アキラさんのことかと気が付いた。
アキラさんは今、このお屋敷で、アンティークの品物を収集したり、専門的な書き物をしたりして生活している。おじさま達はイギリスに在住しているから、事実上の屋敷の主人はアキラさんだ。秘書がつくほどの大先生になっちゃったのか、アキラさんは。
そっか。今アキラさんいくつくらいだっけ。わたしが小さい時は大学院生だったから、ええと・・・・・・。
「ナナコさんを呼んできてと言われたんです」
ハルカさんはそう言うと、ちょっと心配そうに「大丈夫。立てる」と聞いた。大丈夫大丈夫、ぴんぴんしてるわ。ぴょんとベッドから飛び降りたら、目を丸くされた。
「田中さんがホットミルク届けてくれるって」
と、わたしが言ったら、ハルカさんは笑った。「先生のお部屋に届けてもらうことにしたから心配いらない。歩けるなら行きましょう」と言い、ハルカさんは部屋の外に出た。
このお屋敷で秘書のお仕事をしているということは、ハルカさんも田中さんと同じく住み込みなのだろう。
それにしてもこの場所は変わらない。廊下の壁紙や、飾られている絵、置物まで昔のままだ。
お部屋に着くと、ハルカさんは軽くノックした。入って、と、アキラさんの声が聞こえた。部屋の中では大きな暖炉が燃えている。広々とした書斎には天井に届く高さの本棚があり、そこには難しそうな本がぎっしり並んでいた。
アキラさんは机に向かっていたが、わたしたちが入ってくると、くるっと椅子を回転させて向き直った。痩せて背の高い姿は、昔のままだ。お顔が少し老けたように思うけれど、それがダンディーで、より素敵になったみたいだった。
「うわあ久しぶりだねー」
アキラさんは笑顔で言った。
「でも、どうしたの。雪遊びするにはちょっと天気ヤバくない」
ソファを勧められて座った。そこに田中さんがやってきて、熱いホットミルクを手渡してくれる。アキラさんにはブラックコーヒーを運んできたようだ。
田中さんとハルカさんは目を見合わせて、一緒に出ていった。
アキラさんはコーヒーを美味しそうに飲んだ。
「家出だろ」
わたしがまだ何も言わないのに、アキラさんはそう言った。そして、面白そうにわたしの顔色を読んだ。わたしは覚悟を決めた。
「そうなの。でもパパやママに連絡はしないで」
わたしは言った。
アキラさんはにこっとした。
「連絡しちゃったよー。俺、常識人だし」
ええー、と、わたしは泣きそうになった。しかしアキラさんはゆったりとしていて、怒ったり、困惑したりする様子はなかった。長い足を組んでコーヒーを飲み干すと「まあ、この吹雪だからすぐに帰らせるわけにはいかないし、しばらくゆっくりしたら」と言った。
「家出の理由、聞かないの」
ホットミルクは熱かった。少しずつ飲むと、優しい甘さが、ほどよく口の中で広がる。安心できる、懐かしい味だ。小さい頃も、眠る前にこのホットミルクを飲んだっけ。田中さんの美味しい味は昔も今も変わらない。まるでフランスベッドみたい。
「聞かないよー。だって俺、何もしてあげられないもん」
アキラさんは拍子抜けするくらい気軽に言った。立ち上がってわたしの側に来て、とんとんと軽く頭を叩いた。
「まあ、お母さんから何となく事情は聞かされちゃったけど。それこそ俺の出る幕じゃないもん。というか、ナナコ」
お前、すげーな。
アキラさんは言い終わると、にやりと笑った。優しくて貴公子みたいなアキラさんが見せる、意外な表情。
実はお茶目な人なんだよね、アキラさんって。
「ケーキが焼けましたよー」
扉の奥で、田中さんが叫んだ。
ほら行きな、オヤツだってさ。アキラさんはそう言うと、わたしを立たせた。
「吹雪、どれくらい続くかなあ」
「さあね」
窓の外は真っ白で風景が見えない。
雪はどんどん積もっているだろう。
いっそこのまま、雪が止まなければいいのに。わたしはそんなことを考えた。
おばあちゃん、介護度が3になっちゃったって。
介護度が3。
それがどういうことなのか、わたしにはよく分からなかった。パパとママは深刻そうに話をしていた。
離れて暮らすおばあちゃん。去年まではおじいちゃんが生きていた。最後は寝たきりだったけれど、おばあちゃんは必死に介護していた。もちろん、ママも毎日見に行ったし、ヘルパーさんも入っていた。何度か施設への入所を勧められたけれど、「家で看取りたいから」というおばあちゃんの気持ちは揺らがなかった。
おじいちゃんが亡くなった後、おばあちゃんは体の調子を崩した。入退院を繰り返し、歩行器を使うようになり、そのうち車椅子も使い始めた。
ママの買い物の量が増えた。おばあちゃん、外に出られなくなったから、おばあちゃんの必要なものも買っているのよとママは言った。
わたしも何度もおばあちゃんの様子を見に行った。
小さい頃、おばあちゃんと一緒にお昼寝をした、あの懐かしいフランスベッドで、おばあちゃんは横になっていた。古いけれど、このベッドが一番いいんだとおばあちゃんは言った。
寝ていることが増えたおばあちゃん。
だけど、おばあちゃんは相変わらず優しいし、昔と変わらない。
この夏まで、パパとママは、おばあちゃんと一緒に暮らそうと言い合っていた。
ところが介護度が3になったことがきっかけで、おばあちゃんを施設に入れる方向に考え始めたのだ。
「すごく良い施設なのよ。見学にも行ったの」
ママは言った。
「ケアマネさんも親切だし。施設の評判も調べたけれど、ほんとに良いところだって。安心してお願いできるのよ」
「面会に行けばいいじゃないか」
パパも言った。
「差し入れもできるし、なんなら毎週でも会いに行けばいい。それが一番、安心できることじゃないのかな」
おばあちゃんが、施設に入る。
いや、まだ本当に決まったわけじゃないけれど、でも、パパもママも本気で考えている。
嫌だ。絶対に嫌だ。
おばあちゃんはまだまだしっかりしている。体調面で一人暮らしが心配ならば、わたしたちと一緒に生活してもらえばいい。わたしやママがおばあちゃんちにお泊りするとか。それか、様子が分かるカメラをとりつけるとか。
いろいろ方法はあるはずだった。
「おばあちゃんと一緒に暮らしたい。わたしもできることはするから」
そう言ったけれど、パパもママも頷いてはくれなかった。それで、今回の家出を決行した。
パパもママも大馬鹿。思い知ればいい。
びゅうびゅうと風の音が凄まじかった。
はっと目を覚ましたら、未だ真夜中だった。部屋の中はほんのりと暖炉の余熱で温かだ。外は嵐だが、うちの中は安全だった。
とりわけ、ベッドの中は絶対に安全な世界だ。
(あの、幸せだった頃の記憶が詰まっているんだな、このベッドには)
再び枕に頭をつけて目を閉じた。
幸せな夢を見ようと布団にくるまっていたら、なぜだが目頭が熱くなって、つっと一筋涙が落ちた。
ベッドはがっしりとわたしを受け止めてくれて、それも昔のままだった。