第1回: 思い出の抽斗 – 心の拠り所としての過去

  第1回: 思い出の抽斗 – 心の拠り所としての過去
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夢と絆を刻む部屋

第1回: 思い出の抽斗 – 心の拠り所としての過去

夢と絆を刻む部屋

「住めば都」という諺があるように、住み慣れた土地や家に対し、人々は愛着を感じることがある。それは、長年の生活の中で感じた様々な感情、そこでの人間関係などを含めた、思い出がそうさせるのだろうか。幼少期の頃に家族と過ごした日々、青春期に友人と深めた友情や恋愛関係、そうした人と人の間に生まれる様々な愛情が場所に根付くのだ。住み慣れた場所を離れる時に感じる寂寥感は、場所に根付いた愛情も一緒に失ってしまう気がするからこそ、感じてしまうものなのかもしれない。

ケンイチは就職を機に東京で一人暮らしを始めたが、その生活も今年で3年目になる。新しい場所、新しい仕事、新しい人間関係の中で、必死に走ってきた3年間だった。最近では、東京での生活にも慣れ、やっと自分のこれまでを省みる余裕ができていた。

「あいつら元気かなぁ…。」

ふと、地元に残った高校時代の同級生のことが気にかかり、携帯電話のアドレス帳を開いた。

「でも、やっぱり、突然すぎかな。」

携帯電話のディスプレイは、ホーム画面に戻っていた。東京での生活に順応しようと、がむしゃらに走ってきた3年間は、地元での生活と今が切れているような気持ちにさせるには十分だった。自分の周りには頼れる人がいない、ケンイチはいつのまにか、自分だけが周りとは別の世界に取り残されているような感覚に陥っていた。何かを失ったような心の虚しさを埋めるかのように、高校の卒業アルバムを探しはじめた。

「あれ、ここに置いたはずなんだけどな。」

アルバムは、収納の奥にあるダンボールの中に仕舞い込まれていた。引越しの際に、ダンボールに詰めた状態そのままだ。ケンイチの部屋には過去がなかったのだ。正確に言えば、過去を辿ることができる、思い出の写真や手帳やノート、そういったものが部屋の奥深くに封じ込まれていた。そして、いつのまにか、自分の心の中でも、今と過去との繋がりが途絶えてしまったのだ。あるフランスの哲学者は「真の幸福には過去がある」、そして「新しい家にすんでいるときに、過去の棲家の思い出がうかんでくる」と、「静止した幼年時代の国へ旅することになる」と言った。「保護された思い出を再体験することによって、われわれは力づけられる」と。過去の生活での人間関係、そこで感じた様々な愛情が、家に纏わる思い出として、今の生活を活気づけるのだ。

「やっと見つけた。」

卒業アルバムが入っていたダンボールには、過去の写真、当時使っていたノートや筆記用具など、思い出が詰まったいろんな物が入っていた。それらを見返していると、不思議と気持ちが落ち着いていく。

「すぐ手に取れる所に置いておきたいな。」

ケンイチは部屋の中にある戸棚を整理し、その抽斗の中に、アルバムや写真、ノートを入れ直した。思い出が詰まった戸棚は、過去・現在・未来をつなぎ、幸せを呼び起こす「多くの夢がたくわえられている」場所となる。しかし、戸棚には、過去の思い出だけが収められているのではない。日頃、頻繁に使用する様々な物も、そこにあるからこそ、現在と過去が結ばれるのである。頻繁に使用する日用品は、戸棚の天板の上に乗せ、さらにそれらは腰高の位置にあることが重要である。ある建築家が指摘するように「人が何かを取ろうとする時、手はほぼ腰の高さにある」からだ。戸棚上部には、花が飾られたり、読みかけの本が置かれることで、戸棚は日々の生活と密接に関わる。そして、ふと、その中身を開けば、過去の豊穣な記憶が溢れだし、かつて感じた様々な愛情を取り戻すことができる。

「あいつバカだな。今もこんなことしてるのかな。」

卒業アルバムを見返しながら、遠く感じていた過去の日々が、ぐっと今に近づいた心地がしていた。ケンイチは、アルバムをそっと戸棚の天板に置き、携帯電話の電話帳を開いた。

参考文献:
ガストン・バシュラール(岩村行雄訳)、『空間の詩学』、筑摩書房、2002
C.アレグザンダー(平田翰那訳)、『パタン・ランゲージ』、鹿島出版会、1984