第5回: 安心感のある窓辺

  第5回: 安心感のある窓辺
  • 風水
  • インナーデザイン
  • ストレスケア
  • 心と部屋の整理
  • インドアライフ
  • 愛のある部屋
部屋を快適にする”文法” - 知恵の蓄積に学ぶ

第5回: 安心感のある窓辺

部屋を快適にする”文法” - 知恵の蓄積に学ぶ

光を採り入れたり、空気を入れ替えたり、窓は、人々が生活する上で重要な機能を担っている。しかし、窓はそのような必要な機能を持っているだけでなく、部屋の内側にいながら、外側の通り、周りに広がる街や空と繋がれる唯一の場所でもある。それは、部屋という小さな空間を、より大きな世界に広げることのできる魔法のような場所だ。生活の豊かさは、意外にも、そうしたところに隠れている。

「今日は外が明るくて気持ちよさそうだな。」

洋二の部屋には、東の壁に1つと南の壁に2つの、合計で3つの窓があった。東の窓付近にはベッドが置かれており、朝には、東に登った日の光が、柔らかくベッドまわりの空間を包んでくれる。南の2つの窓のうち、東側の窓脇には仕事机が置かれ、窓の方に目を向ければ、南の空に視界が広がるようになっている。それぞれの窓の近くに、ベッドや仕事場などの、小さなまとまりの空間が作られており、窓がワンルームの部屋の中にいろんな違いをもたらしている。

「この窓はもったいないかも。」

残りの1つの窓は、南の壁の西側にあったが、そこは別段なにか設けるわけでもなく、手付かずの状態となっていた。他の2つの窓が、その付近の空間の雰囲気を効果的に作っていたこともあって、洋二はどこか不満を感じていた。

「いい使い方はないのかな…。」

そう考えながら、自然と『パタン・ランゲージ』の頁をめくっていた。窓についてはいくつかのパタンが掲載されていて、空間を作る上で重要な部分であることが伝わってくる。そのなかでも、洋二は「窓のある場所」というパタンに目がいった。そこには「窓辺の腰掛、出窓、市域の低い大きな窓の脇の座り心地のよい椅子は、万人に好まれる」と書かれてある。たしかに、窓の脇に座ってぼーっとできたり、そこから外を眺めることができたら、とても心地よさそうである。でも、これはなぜなのだろう。洋二は、その理由が知りたくなった。読み進めていくと、窓辺が人の居場所として作られていないと、「解消されない対立と緊張の状態」が続くことになるらしい。それは、どのような対立なのだろうか。もし、居場所としての窓辺が部屋の中にない場合、人は「腰を降ろしてくつろぎたい」ことと、「光の方向に引かれる」という2つ気持ちに折り合いがつかなくなるということらしい。つまり、窓から離れた所に、くつろげる場所があったとしても、そこから移動して光を浴びたいという気持ちが生じ、どこか居心地の悪さを感じてしまうということだ。そのため空間を心地よいものにするためには、窓辺は、ただの採光や換気の場所ではなく、人の居場所にしないといけない。

「たしかに、窓辺で過ごせると気持ちよさそう。」

洋二は、部屋にあったソファの1つを、窓の下の壁に寄せた。そこに座ると、窓からの光が背中にあたり、ほんわりあたたかい。少し体を横に向け、窓の向こうに視線を送ると、部屋の外側にある通りが見える。「街路に向かう窓」というパタンがあるように、通りに向かう窓は「屋内生活と街路生活とのあいだに独特の関係」を作る。通りを歩く人、走る車、外に立つ木々が、一日の時間の中で、あるいは季節が変化する中で、移りゆく様子を眺めることで、住空間は室内に閉じたものではなく、その外側に存在する人々やモノとつながったものになるのだ。自分だけの空間で生活することは、守られている安心感があるものの、同時に孤独でもある。窓は、その孤独を解消するように、部屋とその外側の世界をつなげていくのだ。洋二は、ソファに座りながら、しばし道路を通りゆく人々の様子を眺めた後、読みかけの小説の頁をめくった。

参考:C.アレグザンダー(平田翰那訳)、『パタン・ランゲージ』、鹿島出版会、1984