第4回: 趣味が溢れる廊下

  第4回: 趣味が溢れる廊下
  • 風水
  • インナーデザイン
  • ストレスケア
  • 心と部屋の整理
  • インドアライフ
  • 愛のある部屋
部屋を快適にする”文法” - 知恵の蓄積に学ぶ

第4回: 趣味が溢れる廊下

部屋を快適にする”文法” - 知恵の蓄積に学ぶ

一般的には、家の中の廊下は無駄な空間と考えられている。そこで何かをするわけではないから、このように考えられるのも不思議ではない。とはいえ、部屋と部屋をつなぐために発生してしまう場所でもある。しかし、このような一見すると無駄で、家の中の余白となっている場所をいかに作るかが、住空間の快適さや楽しさにつながっていることがある。

「ちょっと買い物にでも出かけるか。」

洋二は家で仕事をしていたが、もちろん食材や日用品などを購入するために必要な時は外出も行なっていた。家から歩いて数分のところにあるスーパーまで今晩の食材を買いにでかけた。早々に買い物をすまし、家に戻ってくると、玄関からリビングまで通じる廊下にひとまず買い物袋を置いた。洋二の家の廊下は、幅が1m以上あり、ゆったりとした空間になっていた。そのせいもあってか、廊下には、普段使用しない小物や、着なくなった衣服などが入ったダンボールが積まれ、物置と化していた。

「なんとなく息苦しいなぁ…。」

玄関をあけると、廊下いっぱいに置かれたダンボール群が目に飛び込んでくる。普段いる場所ではないものの、生活空間の一部である場所が、本来裏側にある物置のような場所になっているのは、あまり心地がよいものではなかった。そういう空間には、活き活きとした生気が感じられない。『パタン・ランゲージ』は廊下についてこう書いてある。「『長くて味気ない廊下は、近代建築にまつわるすべての悪の舞台となる。』…廊下も美しい場所にできることや、部屋から部屋に移動する時間が部屋自体で過ごす時間と同じくらい意味があることを思い付きさえしないのである。」近代建築というと、聞きなれない言葉かもしれないが、白を基調とした幾何学的な形を想起するような、いわゆる「モダン・デザイン」と呼ばれるものの源流であり、時代としては20世紀初頭から始まったものである。そうした近代建築では、廊下は味気ない付属物となっていることをここでは指摘しているのである。

「なるほどな。僕の家もそうかもしれない。」

洋二は、本を読みながら、自室のことについて考えた。『パタン・ランゲージ』によると「人に喜びと生気をもたらす生き生きとした廊下と、そうでない廊下」があるらしい。では、「生き生きとした廊下」にするためにはどうすればよいのだろうか。どうやら、それらの違いは「家具の存在」があるかどうかが一つの鍵になるらしい。「本棚、小机、寄り掛かる場所、腰掛などを設けたくなるような廊下にすれば、そこは孤立した空間ではなく、建物の生活空間の一部に十分になり得るのである。」

「たしかに、棚や椅子を置けば、もっと有効活用できそう。」

洋二は早速、廊下に積まれたダンボールから、自身の趣味であるプラモデルや、衣服を取り出した。さらに、廊下の床にカーペットを敷き、壁脇には棚と小さな椅子を設置した。棚にはダンボールに入っていたプラモデルや衣服を綺麗に並べ、廊下は趣味の小物や衣服が集まる、ちょっとしたギャラリーのような場所になった。

「こういう場所なら、見ていても気持ちいいな。」

洋二は、廊下に置いた椅子に座りながら、棚に並べたプラモデルを眺めた。廊下は普段、一時的に通過する場所でしかないが、そういう場所こそ生活の息遣いを感じさせることが重要である。それによって、ふとした瞬間に、生活の中のささやかな喜びが訪れるのである。

参考:C.アレグザンダー(平田翰那訳)、『パタン・ランゲージ』、鹿島出版会、1984