第1回: 絡みあう心とモノ – 人とモノのゾーニング –

  第1回: 絡みあう心とモノ  – 人とモノのゾーニング –
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安らぎの空間

第1回: 絡みあう心とモノ – 人とモノのゾーニング –

安らぎの空間

空間には自分の領域がある。だから共同生活はときに困難を伴う。その住人が、家族でなければなおさらだろう。瞳、真司、美樹、孝の四人は、ルームシェアを始めて三ヶ月になる。大学のサークル仲間であった四人は、大学卒業を機に生活を共にすることになった。大学時代は、キャンパスで一緒に時間を過ごし、一緒に旅行に行き、同じ生活リズムを共有していたものの、社会人となった今、なかなかそうはいかない。四人は生活リズムがすれ違う中、一つの空間を共有することに対し、いらだちを覚えつつあった。

絡みあう心とモノ01「孝さぁ、リビングのテーブルに雑誌置かないでよ。この前もそうだったじゃん。」

「ごめんごめん。でもさ、一応共用スペースなんだからよくないか?」

「共用スペースだからよくないんじゃん!!」

空間に対する捉え方も、人それぞれによって相違が生じる。例えば、個室に対してならそれぞれ自分の場所であると考えているだろうが、共用部となると、その扱い方・感じ方は違ってくるだろう。同居人の間で、その扱い方・感じ方にズレが出てくると、ストレスがたまってもおかしくはない。

「ちょっと、美樹も食器はちゃんと棚に戻してよ。だらしないでしょ。」

「あーごめーん。戻しといて。」

特に、瞳は自分の領域・共用の領域の差異に敏感であった。そのため、共用部を自分勝手に使われると、非常に腹が立つ。その一方で、孝や美樹はその区別に鈍感だ。自分のモノをリビングに置いたりして、共用部にも自分の居場所を作りたい、自分の領域の延長上として、共用部を扱っている節がある。瞳は三ヶ月間のイライラが限界に達しつつあった。

「だからさ!孝も美樹も、自分のものはじぶんの部屋に置いてよ!」

「そんなのこっちの勝手じゃん!」

「そうだよ、もうちょっとラフでよくない?」

お互いの考え方も堂々巡りですれ違うばかりである。残りの真司はというと我関せずといった感じで、自室で読書を続けている。四人の共同生活はここにきて、一気にバランスを崩しつつあった。リビングに緊張感が張り詰め、瞳の三ヶ月のイライラが堆積しっているかのように、陰鬱な空気が漂っている。そんな緊張した空気を裂くかのように、自室で読書を続けていた真司がリビングに入ってきた。

「どうしたの?」

「いや、なんか瞳が急に怒っててさ」

「急にじゃないよ!もうずっとイライラしてるんだから!」

お互いのイライラをぶつけ合うかのように、次々と言葉が行き交う。それらの応酬を耳にしながら、真司がふと言葉をもらした。

「まぁ、三人の考え方も違って当たり前だから。瞳は共用部に個人のものを置いてほしくないし、孝と美樹はもっと自由に使いたいんだよね。それはどっちも間違ってないよ。」

“どっちも間違ってない” その言葉に、三人の気持ちは少しずつ静まっていく。空間に対する考え方は、どちらかが正しいわけではなく、単に違うだけなのだと納得することができはじめていた。

「とりあえずさ、テーブルの下にモノは乱雑に置かないとかさ、そういう簡単な気遣いから始めようよ。」

リビングテーブルの下には、孝と美樹の読みかけの雑誌などが放置されていた。それらをひとまず取り除き、真司はテーブルの下にラグを敷いた。

「こうしておくと、この場所は綺麗にしておくんだという気持ちになんとなくならない?」

絡みあう心とモノ02ラグを敷いたことによって、空間がひとつの領域性を持ち始める。単純にフローリングの上にテーブルを置いている状態と、ラグが他のフローリング部分から独立し、空間にまとまりが作られた状態では、感じ方もまた変わってくるだろう。このように一つの空間を、領域的に区分することをゾーニングと呼ぶ。

「そうね、こうしておけば、ここはモノを置かず綺麗にしておく場所って気持ちになるかも。」

空間の作り方を変えることによって、美樹も孝も自然とその扱い方が変わったようだ。住空間のちょっとした工夫は、それに対する人々の感じ方の共有をもたらし得る。すれ違っていた四人の気持ちが再び繋がれていき、リビングには穏やかな空気が漂っていた。