へそまがりの美しきカーブ 終章: 幸せにつながる曲線

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カヴァース小説部

第3章: 幸せにつながる曲線

 「馬が、無理なく自然に曲がることができるタイミングがあると気づいた」

 まるで、的確に行われる、職人さんの手による曲木みたいだな、と、思う。

 あの、おばあちゃんの部屋にあるテーブルセットは、ごく自然な美しい曲線を描いており、それだから使っていて居心地が素晴らしく良いのだ。

 

 多分、曲げられた木も心地が良いのに違いないと思う。

 きっと、すっと、自然に、まるで木と会話をするかのように、行われるのだろう。

 曲木という、技術。


 馬を辞めてから、いろいろなことが立て続けに起きた。息をつぐ暇もないとはこのことだった。

 

 パートから正社員に登用され、やりがいある仕事にめぐまれた。馬をやっている時は、仕事が終わってから馬に乗り、遅くなってからやっと帰宅していたものだ。これでやっと家族と夕ご飯が食べられる。お母さん、お父さん、お姉ちゃん、わたしの四人家族の時間を持つことが叶うのだと思っていた矢先のことだ。

 

 お姉ちゃんが、突然「結婚しようと思う」と言い出した。

 「ハアー」と、わたしは叫んだが、お父さんとお母さんはご飯を食べながら、「そうか、行きなさい」と平和に返したのだった。

 「あんたみたいな気の強い子、しかも適齢期過ぎているのに貰ってくれるっていうんだから、有難いとしか言いようがないよ」

 と、お母さんは言った。お父さんは「まあ、今度連れてきなさい」と、口数少なく言った。

 お姉ちゃんは特に照れるでもなく、淡々と相手の男の人をうちに連れてきて家族に紹介した。どんどん話は進んでゆき、あっという間に結納の日が過ぎた。

 お姉ちゃんと一緒の家にいられるのも、あともう少しなのか。そう思うと切なかったが、めでたいのは確かであるし、わたしも含めてうち全体がおまつりモードになっていた。

 ある晩、残業で遅くなり、疲れて帰ってきたら、おばあちゃんの部屋に灯りがついていた。覗いてみると、もうじき嫁に行くお姉ちゃんが、椅子に座ってなにか書き物をしているところだった。

 「お疲れー」

 と、入っていくと、お姉ちゃんは、もうじき嫁に行く娘とは思えないほどの淡々とした表情で「ほいよ」と答え、自分の向かいの椅子を指さした。言われなくても座るつもりだったので、椅子に腰かけた。

 

 「やっぱり居心地いいよね、この椅子」

 言いながらお姉ちゃんの手元を見たら、仕事関係の書類みたいだったのでガッカリした。披露宴で読まれる両親への手紙みたいなやつかな、と期待していたのに。

 お姉ちゃんは眼鏡をはずして「疲れた」と言った。

 「ねえ、あの彼のどこに惹かれたの」

 「わたしのねじ曲がった性格を、受け入れてくれるから」

 さくっと、お姉ちゃんは言った。あまりにも淡々と言うので、わたしのほうが照れてしまった。

 ねじ曲がった性格、か。なんとなく、曲木で作られた椅子を撫でてしまった。

 「あんたもさ、あんなに馬が曲がらない曲がらないって悩んでたのに、大会で好成績残して意気揚々と辞めてこられたじゃん。なんかコツ掴んだの」

 お姉ちゃんが質問してきた。

 全て綺麗に終わり、新たな道を歩んでいる時に、今更のように問われ、苦笑いしてしまった。

 確かにわたしは、アキタコマチでスピード&ハンドネス80センチで、優勝した。わたしの前に乗った二人の子が惨敗だったのに、アキタコマチはわたしの時だけ、別馬のように従順になり、鋭角のカーブも的確にこなして、ショートカットに次ぐショートカットを演じ、素晴らしいゴールを決めたのだ。

 

 あの時の、乗馬クラブの人たちの顔ときたら。

 肩を竦めたくなった。

 「80センチなんで遊びみたいなもんよ」

 という、負け惜しみのような言葉が耳に飛び込んできたが、痛くもかゆくもなかった。

 今日で、馬に乗ることはない。最後に乗った馬がアキタコマチで、しかも、初めてこんな成績を残すことができて、思い残すことはなかった。

 

 そう。アキタコマチの固い体で、カーブを曲がるコツの話だった。

 「馬が、無理なく自然に曲がることができるタイミングがあると気づいた」

 わたしは言った。ふんふんと、お姉ちゃんは相槌を打つ。

 

 「曲がるタイミングと言うか、馬にも曲がることができるタイミングがあってさ。それは、馬とコミュニケーションがとれていれば、伝わってくるのね。曲がる時も、馬に今曲がるんだよ、って指示をもちろん出すけれど、その出し方も、強すぎたら反発を呼ぶし、弱すぎても伝わらない。それと、指示を出す時間の長さというか、まあ、ほんの数秒くらいなんだけと微妙に長すぎたらしつこくて馬は嫌気がさすし、短すぎても伝わらない。タイミングと、的確な時間の長さがね、あるんだって気づいた」

 無理やりぎゅうぎゅうと手綱を引っ張るのではなく。

 馬の体の形、動き方を理屈ではなく自然に飲み込んで、すっと優雅に曲げてゆく。

 フーン、と、お姉ちゃんは頬杖をついた。

 「人間関係のコツに似てると思う」

 わたしが言うと、まあそうだけど、と、お姉ちゃんはにやっとした。

 「その、曲木で作られた椅子にも似てると思ったよ。あんた知ってる、このテーブルセット作った秋田木工ってとこ、曲木の技術が凄いらしいのね」

 お姉ちゃんの目が、きらきらと輝いた。

 「ほんの、五分なんだって。五分かけて思うように木を曲げるの。それ以上かかってしまったら、もう駄目なんだって」

 お姉ちゃんは言った。

 

 改めて、自分が座っている椅子に触れてみる。

 心地よい曲線。木は最初からこんなに美しく曲がっているわけではない。一直線であるはずだ。その木を、気持ちよく自然に曲げる。それが曲木という技術だ。

 

 「きっと、この曲げられた木、すごく気分よいと思うよ」

 わたしはすりすりと両手で椅子を撫でまわした。

 「座っている人間も、体にフィットして、まるで受け止めてもらえているみたいな気分になれて、居心地が良いもの」

 あんたの馬を曲げる話聞いたら、曲木のこと思い出しちゃったわよ。

 お姉ちゃんは言うと、また眼鏡をかけた。仕事を続ける気だろう。わたしは立ち上がりかける。

 「それにしてもお姉ちゃん、なんでそんなに詳しいのよー」

 「え、だって、新居で使う家具とか、良いものが欲しいじゃん」

 お姉ちゃんはさらりと言った。

 秋田木工の曲木技術で作られたテーブルやチェアを揃えるつもりらしい。お姉ちゃんは愛おし気にテーブルを撫でまわした。

 「だからさ、あんたもお祝いくれるつもりなら、秋田木工の何かにして。希望としては、ダイニングセットがいいかもなあ」

 

 勝手なことを言い出し始めたので、そろそろ逃げたほうがよいと思った。

 まあ、いい。結婚祝い位、奮発してあげなくてはなるまい。秋田木工の家具が良いと言っているのだから、よし、ちょっと調べてみるかな。

 部屋を出てゆくわたしに、お姉ちゃんがブツブツと言い続けている。

 「ほんとはこのテーブルセット持っていきたかったんだけど、あんたが寂しがると思って新しいの買うことにしたの。っていうか、あんたも早く良い人を」

 あーうるさいなぁ。

 幸せならそれでいいじゃない。わたしは関係ないっつぅの。というか、今、十分満たされてるし。

 若干ふてくされながら廊下に出たら、驚いたことに、ちんまりとおばあちゃんの幻が立っていた。あれ、おばあちゃん、部屋から出ることがあったんだ、と驚いていたら、ぱちんとウインクされ、人差し指を立てられた。

 「大丈夫大丈夫」

 おばあちゃんは言っている。

 あの、子供時代のわたしに何度も何度も言ってくれた、励ましの言葉。

 「大丈夫。ゆきちゃんにもじきに、幸せがやってくるからね」

 曲がり曲がってきた道。全ての曲がり道には意味がある。どんな意味って。

 「幸せになる、意味が」

 エッほんと、おばあちゃん。わたしにも彼氏ができるの、ね、それっていつ。明日。あさって。

 矢継ぎ早に問いかけようとしたけれど、おばあちゃんはもう消えてしまっていた。部屋からはお姉ちゃんの鼻唄がうっすら聞こえてきた。やっぱり浮かれているんじゃないの、何食わぬ顔をしてさ!

 しかし、悪い気分ではなかった。

 わたしは自分の道を行く。大きな曲がり道をしても、絶対に、辛いだけの経験にはしないのだ。何度でも立ち上がるし、きっとまた、曲り道にさしかかるだろう。

 

 だけど今は、ただほんのりと温かな幸せの予感が漂っていた。

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