思いは実現する 第2章: 思いは叶う
【連載】思いは実現する - おばあちゃんのフランスベッド
- 【第1回】 思いは実現する 序章: ホワイトアウト
- 【第2回】 思いは実現する 第1章: ナナコの事情
- 【第3回】 思いは実現する 第2章: 思いは叶う ←今回はココ
- 【第4回】 思いは実現する 終章: 手紙
第2章: 思いは叶う
食堂でドリルをしていたら、不意に後ろから「偉いですね」と声をかけられた。
ハルカさんが笑顔で立っている。お仕事の合間の休憩だろうか。カップを手に持っていた。
ここ、いい。そう聞かれたので頷いた。宿題をする手を止めてハルカさんを見上げる。家出先に宿題持参で来ちゃうんだから、我ながら出来た子だと思う。そりゃそうよ、わたしは落ちこぼれるわけにはいかない。ちゃんと大人になってお金を稼いで、おばあちゃんに安心してもらわなくちゃいけないんだから。
ちょっと待ってね、とハルカさんは言い、厨房のほうに引っ込んだ。それから、熱いココアとお菓子を持って戻ってきた。はいどうぞ、おやつ。そう言ってわたしに出してくれた。
良い人だ。
「ねえハルカさん」
「なあに」
「ハルカさん、ここにずっといるの」
ハルカさんは三年前からお屋敷で仕事をしているそうだ。アキラさんが秘書を募集し、何人か来たけれど誰も続かなかった。ハルカさんだけらしい、ずっと勤務できているのは。
この不便な土地や、アキラさんの仕事内容が難解すぎるからというのが理由だとか。
「良いところだと思うわ」
ハルカさんは、にこにこしている。「それに、先生のお仕事はわたしの大学の卒論と重なる部分があるので、わたしにとっては難解すぎるということはないの」
ハルカさんは優しい。そのうえ頭脳明晰。美人だし。けれど、もうちょっと、こう、お化粧とかしてみたらいいのに。
アキラさんの仕事のことを話すとき、ハルカさんの目は輝き、頬は美しく桃色に染まった。それでわたしは、カマをかけるつもりで言ってみた。
「お似合いだよね。ハルカさんと、アキラさんって」
沈黙が落ちた。おや、まずいことを言ったかなと思ってチラ見したら、ハルカさんはタコみたいに赤くなっていた。図星だった。なんと分り易いのか。
もじもじとしているハルカさんは、まるで小さな女の子みたい。三十路らしいし、キャリアもある女性なんだろうけれど、恋愛方面ではわたしより初心かも。
いいわ。協力しちゃう。
「あのーね、ハルカさん」
「なに」
「ちょっとチーク入れたら。ハルカさん、ほっぺに綺麗な桃色を差したら、二割増し美人になるもの」
ばか。なにを言うのよ。
ハルカさんは苦笑いしながら立ち上がった。おしゃべりタイムは終わったらしい。さあ仕事仕事。そう呟きながら食堂を出ていった。
後姿の美しいこと。細い腰、すんなりとした背中、長くてすらっとした足。
ちょっと装うだけで、どきっとするくらい魅力的になるだろうに。
アキラさんだって、ハルカさんの美しさに気づいていないわけがないと思うんだけど。
わたしは確信している。
夕食の時、みんなでテーブルを囲む。その時、アキラさんとハルカさんは、ちらちらと互いの様子を見ている。かっきり視線が合うタイミングを見事に逃している。二人はお互いに、自分が片思いしていると思っているんだ。
さあ宿題をしてしまおう。家出中だけど、学力をつけておかなくては。
それにしても、パパとママ、考えは変わらないのだろうか。アキラさんからパパとママに連絡をしたということだけど、今のところ、うちのほうから連絡は入っていない。
もう、完全に決まってしまったんだろうか。おばあちゃんの施設入りの話は。
(おばあちゃん・・・・・・)
吹雪は止んでいた。けれど、雪があまりにも深いのと、未だ天気が不安定というので、「まだ帰せないな」とアキラさんは言っている。けれど、もう時間はあと少ししかないのは分かっていた。近いうちに晴天の日を迎え、除雪車で道が整えられる。そうなると、わたしは強制的に家に帰されることになるだろう。
暖炉の残り火のおかげで温かいお部屋で、お気に入りのベッドに入りまどろむ。
おばあちゃんのうちにあるのと同じフランスベッド。かけがえのない思い出が宿るベッド。
初日、あまりにもわたしがベッドから離れたがらないので、そのベッドが好きなのね、と、ハルカさんに呆れられた。思い出があるからだと言ったら、ハルカさんは優しい目になり、こんなことを教えてくれた。
「フランスベッドってね、フランスって名前がついているけれど、日本のベッドなのよ」
フランスベッドはずっと昔に創業された歴史ある会社だという。当時、フランスは夢の国だった。「フランス」というと、豊かさ、幸せを思い浮かべる日本人が多かった。
その豊かさ、幸せは日本人みんなの夢だ。夢を実現したい思いが込められた名前だという。
「ベッドを使う人が幸せに豊かな人生を送って欲しいという、思いよね」
身を乗り出して聞くわたしに、ハルカさんは微笑んだ。
「実際、フランスベッドはすごく有名な会社になったし、商品はとても愛されていると思う」
夢を込めたフランスベッド。
その夢は実現したのだと、わたしは思った。何故なら、このベッドで休むと幸せで優しい気持ちになれるから。使う人が嬉しくなるのだから、ベッドに込められた思いは現実になっている。そう言ったら、ハルカさんはちょっと笑った。
「夢を実現するってすごいことよねー。こうなりたいって思っても、なかなかそうはいかないものじゃない」
あの時のハルカさん、何を思っていたのだろう。「こうなりたい」とハルカさんが思いながらも、実現していないことって。
(アキラさんへの思い・・・・・・)
ハルカさんとアキラさんが、いつか上手くいけば良いと思う。ううん、きっとそうなると思う。
できるだけ早い時期に、その幸せな現実が実現できればいいと思う。
あれっと思った。そう言えば、現実と実現って似ているわ。漢字を入れ替えただけだもの。
大好きなベッドでそんなことを考えているうちに眠ってしまった。ぽかぽかと良い気持ち。
夢の中で、今は亡きおじいちゃんから説教を垂れられた。
おじいちゃんは仁王立ちをしており、お日様を後ろから浴びて、はげた頭から後光がさしていた。眩しいじゃないの、帽子をかぶってよ、おじいちゃん。
「ナナコ、家出するとは、この馬鹿者」
ぷんすか怒っているけれど、なんでおじいちゃんが家出のことを知っているのよ。おじいちゃん、死んだはずでしょう。
あ、そうか。夢の中でポンと手を打つ。おじいちゃん、お空の上の人になったから、なんでも知っているんだ。そうかそうか。
「感心している場合かー」
更におじいちゃんは怒る。そう言えばおじいちゃんは怒り虫だった。よくおばあちゃんから宥められていたっけ。
「どうしようもないワガママ娘だ。死んでからもまだ、世話を焼かねばならんとは」
ぷんすか。
おじいちゃん、光る頭から水蒸気が出るわよ。ワガママって何よ。何もしないでいたら、パパとママが、おばあちゃんを施設に入れちゃうじゃない。それでも良いっていうの。
「しょうがないから、ひと肌脱いでやったわ。頼むから休ませてくれぃ。あの世で昼寝を楽しんでいるんだからの」
おじいちゃんは意味深なことを言った。えっ何のことと言ったら、「じゃかましい」と怒られた。なによ、やかん頭。
おじいちゃんがあまりにも怒るので、せっかく気持ちよく寝ていたのに夢から覚めてしまった。あれっ、まだ夜だ。このベッドで寝たら、朝までぐっすりなのに珍しい。
部屋の中はまだ真っ暗だ。見ると、時計は真夜中の一時を指していた。
寝ようと思ったけれど、妙に胸が騒ぐ。おまけに、扉の向こうからぼそぼそと喋り声が聞こえてきた。
「ピーチ、オレンジ、ブラウン、いや、ピーチだ」
アキラさんの声だった。そっと扉を開いて廊下を見てみたら、パジャマ姿のアキラさんがぶつぶつ言いながら廊下を往復しているところだった。夢遊病のようにふわふわした足取りで廊下を歩き回っている。ピーチ、オレンジ、ブラウン、ピーチ、ううむ。アキラさんは階段のある突き当りまで行って、また戻ってきた。開いた口がふさがらないわたしの目の前を通り過ぎようとして、ギクリと振り向いた。わたしたちは、まじまじとお互いを眺め合った。
「なんで起きているんだよー」
と、アキラさんが言うのと、
「まる聞こえだよ」
と、わたしが言ったのは同時だった。
アキラさんはうろたえて周りを見回し、さっとわたしの部屋に入った。しいっと人差し指を口に当てた。
「考え事をしていただけだ。何色が似合うかって」
何色が似合うかって。誰に、何を。わたしが何か言うより先に、アキラさんは不満そうな表情をした。
「俺だって今日は早めに寝るつもりだった。なのに、ナナコのうちから連絡があって目が覚めてしまった。それから考え事を始めたら寝られなくなったんだよ」
いきなり矛先がこちらに向いた。
それより、なんだって、わたしの家から連絡があったって。パパとママが、ついに何か言ってきたのだ。
アキラさんはため息をついた。本当は明日、朝食の時に言おうと思ったんだけど、と前置きをして、言った。
「ナナコ、明日、家に帰りなさい。タクシーを呼ぶから、それで駅まで行って。帰りの電車代はあるよな」
おばあちゃんは、施設に行かないことになった。その代わり、おばあちゃんの家を増改築して、わたしたち家族が一緒に住めるようにするのだという。
確かにパパとママとわたしが住んでいるのは借家だし、おばあちゃんの家に引っ越すのは問題がないだろうけれど、増改築するにはお金がかかるはずだ。そもそもそんなお金があれば、何ら問題はなかっただろう。
パパとママは借金でもする気になったのだろうか。
おじいちゃんの時は、そこまでしなかったのに?
「ウッソー。そんなこと言ってだまして、わたしを連れ戻そうっていうんじゃないの」
と言ったら、アキラさんは苦笑いをした。
「そんなんじゃないよ。実は、今になって、おじいさんのタンス預金が見つかったらしい。ナナコのご両親も悩み、迷いながら、おばあさんの家を整理し始めていたんだよ。古いタンスを開いて、もう着ないような服を出していたら、結構な金額が入った包みが出てきたんだってさ」
アキラさんが言った金額に、腰を抜かした。それだけのお金をタンスに隠しておくなんて、おじいちゃんも凄い根性だ。亡くなる数年前から忘れっぽくなっていたし、もしかしたらお金があることすら忘れていたのかもしれないけれど。
つまりは、そのお金が出てきたことで、古い家を増改築するプランが急に持ち上がった。
わたしたち家族が、おばあちゃんと一緒に住むことが叶えば、施設に行かなくても済む。
「何なら、明日、おうちに電話して聞いてみな」
アキラさんは言った。
晴天の朝だった。
窓から差し込む光は透き通り、フランスベッドでの寝ざめは最高で、間違いなく今日は良い一日になりそうだった。
さあさあ、朝ですよ。電車に遅れてしまいますよと言いながら、田中さんが入ってくる。もう、タクシーの手配は済んでいるらしい。
家出は終わった。あとは、身支度を整え、朝ご飯を食べるだけとなった。着替えている間も、田中さんはてきぱきと荷造りを進めた。
「ほんとに、おばあちゃん施設に行かなくて済んだのかなー」
ぼそりと呟いたら、田中さんは真顔になった。聞きとがめられたらしかった。
「昨晩、ご両親からアキラさんに電話がかかってきたんですよ。嘘なもんですか」
それは、嘘とは思えない。
おじいちゃんが夢に登場してブツブツ怒っていったのだし。夢の中でおじいちゃんは、ひと肌脱いでやったと言っていた。タンス預金のことを言っていたのだと思うけれど、だとしたらあれは、「夢枕」というやつか。
おじいちゃん、出て来ちゃった。家出したわたしに怒って。
おじいちゃんも、おばあちゃんに施設に行って欲しくないのかもしれない。
おばあちゃんの古い家を増改築して、パパとママとわたしとおばあちゃんの四人家族で暮らすことができるのは、本当に嬉しいことだ。
けれど、今、わたしはとても寂しいのだった。ここにはフランスベッドがあるから。そして、このベッドで寝ると、懐かしく優しい思い出が蘇るから。
「また、来るね」
お部屋を出る時、愛おしいマットレスをさすって小さく囁いた。
わたしは、パパやママ、おばあちゃんがいる場所に戻らなければ。
温かなお部屋の中で、頼りがいのあるベッドはどっしりとして、「次は、みんなでおいで」と微笑んでいるように見えた。