第3話: その想いに目頭が熱くなる 籐と本気で向き合ってきたカザマの100年

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カヴァースメディア部

創業100年を迎えた籐家具メーカーのカザマは、籐家具作り一筋で時代を駆け抜けてきた。籐家具作りにかける想いを聞いていると、その覚悟や苦悩に激しく感情をゆさぶられた。しかし現在、籐家具の価値は十分に理解されているとは言い難いのだ。どれだけ質の高い籐家具でも、その価値が認められず、またその品質が理解されず、安価に販売されていることも少なくないのだ。

「価値のある家具が正当に評価されていない」

家具の価値は捉え方によって異なる。価格に重きを置く人、品質に重きを置く人、ブランドイメージに重きを置く人、価値基準は千差万別だ。少なくとも品質に価値を感じる人であれば、カザマという会社は一見の価値が十二分にある。100年もの間、籐と真正面から向き合い家具を作り続けてきたカザマが抱える想いを紐解き、籐家具との向き合い方を考えたいと思う。

目利きでなくなった日本人と家具の在り方

籐の質や家具のデザイン、製造工程に至るまですべてにこだわって作られるカザマの籐家具。職人の手によって丁寧に作られた家具を見れば、カザマが日本一の籐家具メーカーであることは一目瞭然だ。籐と本気で向き合い、100年以上貪欲に学ぶカザマのようなメーカーは他にないだろう。しかし、そんなカザマの籐家具でさえ、日本国内で正当に評価されているとは言い難いのだ。そこには、私たち日本人の家具に対する考え方が影響している。

以前の日本は、婚礼家具に代表されるように品質の高い家具に対して、その価値を正当に評価する文化、風習があったように思う。ただ1990年代に入り、安価な輸入家具が普及するようになってからは、家具に対する価値の第一基準として価格が重視されるようになった。そしていつからか、私たちは家具に「低価格」を求めるようになった。とにかく安く購入できて、おしゃれに見える家具。それが売れる時代なのだ。もちろん安価で高品質の家具が普及することは大いに意味があることだが、消費者の過度な期待が日本の家具生産の質を衰退させているという側面があることを忘れてはいけない。

「もっと安い商品を作れないかと言われることもあります」

消費者が安い家具を求めれば求めるほど、販売店も価格を価値の第一基準と考え、必然的に使われる材料の質は下げて、職人たちの負担が増える。海外からも高く評価されるジャパンクオリティだが、その本当の価値を最も理解していないのは日本人である私たち自身なのかもしれない。安い家具を手に入れた代わりに、家具の品質をないがしろにし、長年受け継がれてきた家具作りの伝統を、私たちが廃れさせてしまっているという見方もある。

カザマの籐家具は『魂のこもった逸品』

残念ながら、籐家具について正しく理解している日本人はほとんどいない。これは籐家具を購入する側だけの話ではなく、籐家具を取り扱う販売店やバイヤーにも言えることだ。SDGsなどをきっかけに自然素材への関心は高まっており、ナチュラルインテリアを好む人も増えている。それにも関わらず、本物の籐家具を作れるメーカー、扱える販売店は決して多くはない。それは消費者が本物の家具を作れるメーカーの価値を理解することができなかったため、そのようなメーカーが次々と倒れてしまっているからだ。なぜそんなことが起きてしまうのか。それは籐に対して、メーカーに対して、圧倒的に私たちの知識が欠けているからだ。

籐について貪欲に学んでこそ、本物の籐家具を生み出すことができるし、見つけることができる。そして、カザマほど籐と本気で向き合い、籐について貪欲に学んできたメーカーはないのだ。材料である籐に妥協せず、完成度の高い家具を生み出す技術力を身につけ、カザマにしか作れないオリジナルデザインで勝負。そこから生まれた家具は世界にただ1つ。大量生産と違い、2つと同じものは存在しないのだ。そこには携わってきた職人たちの魂がこめられており、低コストで作られた籐家具と同じ土俵で比べることなど決してできないのだ。

大量生産される籐家具があふれている今こそ、私たちは本物の籐家具の美しさを体感するべきだ。本来の籐家具とは、世代を超えて受け継ぐことができる芸術品であり、どんな時も私たちに快適で豊かな暮らしを提供してくれる。家具を通じて、作り手と買い手が対話できるのだ。「籐家具は壊れやすい」「夏にしか使えない家具」、そんな古い考え方はアップデートして、カザマの籐家具に癒されてみてほしいと思う。

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