へそまがりの美しきカーブ 第1章: 必要だからある曲がり道

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カヴァース小説部

第1章: 必要だからある曲がり道

 「なにも無駄なことはないんだよ。近道だけしていれば良いわけじゃない」

 おばあちゃんは、わたしの頭を撫でながらそう言った。

 おばあちゃんの部屋には、古くて綺麗なテーブルセットがあり、向かい合わせになった二つの椅子の一つが、わたしの居場所だった。

 それは、ずいぶん前に亡くなったおじいちゃんの椅子だったと思うけれど、おばあちゃんはいつも、わたしにその席を勧めてくれた。

 「無駄な曲道はないんだよ。まっすぐが良いってみんな思うけれど、決してそうじゃない」

 おばあちゃんは、椅子を大事そうになでながら、言っていた。

 「見てごらんゆきちゃん。この椅子は、職人さんが熟練の技で作った良いものだよ。まっすぐで固い木が、こんなに気持ちよく曲がっているだろう。この曲がりがあるから、こんなに座り心地が良いんだよ」

 

 秋田木工、という名前を聞いたのは、ごく小さい時だったと思う。

 どこの椅子なの、と聞いたら、おばあちゃんはにっこりとして、答えてくれたのだ。

 秋田木工の、椅子の木は、曲がっている。

 気持ちよく曲がっているから、こんなに座り心地が良い。

 曲がっていても、それは必要な曲がり道。

 まっすぐの近道ばかり良いわけじゃないよ。

 それは、昔から不器用で、なんでも回り道ばかりして、人に後れを取ることが多かったわたしへの、おばあちゃんからの励ましだった。


 真夏の灼熱にやられてフラフラになったことがある。

 そんなに運動が得意ではないけれど、意地だけは人一倍あるわたし。どうしても、どうしても、早く長く走りたくて、夏休みの真昼、近所じゅうを走り回った。

 「あ、やばいかな」

 クラクラしてきた頃、自分の体の異変に気付いたが、「なんとでもなる」と無理やり違和感に蓋をした。あともう十周。まだまだ。ああ、タイムが落ちてきている。やっぱりわたしは駄目なのだろうか。

 

 幸い、道端で倒れることはなかったが、家に帰った途端に体に力が入らなくなった。

 お姉ちゃんが呆れて、怒りながら風呂場までひきずっていってくれた。いいかげんにせいよ、アンタ自分の能力を考えるのはもちろんだけど、夏の真昼に長時間走り続けたらどうなるか位、分かんなかったの。じゃーっと頭から冷たい水をかけられた。手荒なやり方だったけれど、それで正気に戻ることができた。

 今思えば、お姉ちゃんはとっさの判断力が凄い。もうあの頃から片鱗が見えていた。あれから十年以上たち、お姉ちゃんは大きな病院の看護師としてバリバリ働いている。

 はい飲んで。まだまだ。何甘えてんのよ、まだ飲んでー。

 水をぶっかけられた後は、わんこそばのような勢いで、氷入りの水を飲まされた。じゃらじゃらと製氷機が悲鳴じみた音を立てていたことを覚えている。

 お姉ちゃんは冷静で根性があるけれど、熱中症になりかけの人へのあの対応は、どう考えてもスパルタだった。

 

 (わたしたち姉妹は、スパルタの根性があるのに違いない)

 まあ、その方向性が違っているせいで、わたしとお姉ちゃんでは、差がありすぎた。

 今、お姉ちゃんは病院の看護師の中でもリーダー的な存在らしい。バシバシと的確にものを言い、判断をあやまらないので、評価が高いのだ。まあ、わたしだったら、あんな恐ろしいナースに巡り合いたくはないけれど。注射する時など、それは冷酷無情に、ぶすっと刺し込まれそうだ。

 一方、わたしときたら、経済学部を出たくせに、ぜんぜんジャンルのちがう会社に入社してしまった。それなりに勤めていたが、五年目になって、少々心を病んだ。頑張りすぎたのだろうと言われた。自分でもそう思う。

 わからない仕事や、無理な仕事でも、体が壊れようが会社で寝泊まりすることになろうが、やってやろうというのがわたしのスタンスだった。

 ガシガシと仕事に命をかけ、それが当然評価につながると期待していた。

 ところが、五年目、ものすごくチャラいけれど、すごく容量が良くて、コミュニケーション能力が抜群で、無理なものは無理ぃ、とはねのけながらも相手に悪感情を抱かせないようなタイプの人が中途入社してきた。

 必死で仕事をしている自分と、要領の良いタイプ。周囲が評価したのは後者だった。わたしは落ち込んで、とうとう会社を辞めてしまったのだった。

 その後、少しの療養期間を経て、派遣やアルバイトの仕事でつないだ。

 一生懸命頑張るうちに、年月も一生懸命に走っていった。気が付けば三十路手前になっており、わたしは自分の熱中するものが欲しくなっていた。

 ああ。もっと無難なものなら良かったのに。

 いつもわたしは、困難なものを選んでしまう。

 「熱中するもの」として選んだのは、乗馬であった。なんとまあ、ハイソなことか。悪いことに、なんとなく見学に行った乗馬の施設が県の関係の施設でーーまあ、国体選手を養成するところだったのだけどーー馬に乗っている姿がえらく素敵だったので、いいなあ、乗りたい、と言ってしまったのが運の尽きだった。

 「安くていっぱい乗れて、ちょっとスパルタだけど良いクラブがあるよ」と紹介された。

 国体選手養成所が紹介するようなクラブだから、当然そこは、選手予備軍の人たちの場所だった。まあ、中には趣味程度に月に一回くらい、ぽこぽこ乗りに来るおばあちゃんもいたみたいだが。

 ともあれ、そのクラブは確かに破格に安かった。

 まあ、靴やらヘルメットやら道具をそろえるのにお金はかかったけれど、それもまあ、何とかなるレベルだったし。

 その日からわたしは馬乗りになり、毎日パートの仕事がおわったら馬場にかけつけ、厩舎の雑務を含めた肉体労働と、ほんの僅かな乗馬時間で成り立つ長時間を費やすこととなる。

 

 (おかしいよなー)

 と、どこかで思いつつ

 (大丈夫大丈夫やっちゃえ)

 と、駆け抜けてしまう熱狂は、夏場にジョギングのしすぎでぶっ倒れかけた時から、何一つ成長していなかった。

 

 気が付けば、こんなことになっていた。

 体力と時間を限界まで費やしたのに。

 優遇されるのは、選手として見込まれる子供や、学生ばかり。それでも、大会があれば出場させてもらえた。けれど、良い成績をおさめたことは一度もない。

 

 どうしよう。

 このままで良いのかな。

 ふっと我にかえり、自分の人生を考え始めたのは今年に入ってからだ。三十路を迎えて色々と、考え方が変わってきたからかもしれない。

 こんなことではいけない。どこかでふんぎりをつけないと。

 そう思いながら馬のところに通う日々。そしてある日、それは起きた。

 「次の大会、わたし、出たいんですが」

 大会があるのは知っているけれど、わたしのところに案内が来ないので聞いてみた。

 すると、

 「ああ。もうね、出場できる馬が限られてて。それと枠もね。新しい選手候補生が何人も入ったのでね、もう、小山内さんの枠がないんですよ」

 と、ごく当たり前のように返事が返ってきた。

 まあ、見学に行って見られたら。良い試合が見られると思いますし、今後の役に絶対立ちますから。

 それにねえ、車出してくれますよね、試合に出る子たち何人か、連れてきてくれるでしょう、ね、いつものように。小山内さん。

 すうっと血の気が下がる思いがして、気が付いたら啖呵を切っていた。

 クラブ側は最初から小ばかにした様子だったが、あまりにもわたしがムッとしているので「それなら、この大会じゃなくて、この大会の練習試合的な地域の大会があるので、それなら出てもいいですよ」と、言われた。

 (もう、最後にするべきだろう)

 ぎりぎりのラインを超えた瞬間を、さすがのわたしも悟った。

 やめるべきだ。

 ああ、馬上の人となった時の、風の心地、人馬一体の心地よさ。あの至福感は忘れがたい。

 それと、乗り続けたい、馬に乗って高い障害を飛び越えたいという強烈な欲求。

 大好きだった乗馬。

 だけど、これが良いけじめになるだろう。

 おりしもわたしは、パートの職場から「正社員にならないかな」と打診されていた。正社員になるならば、馬に費やす時間がなくなるだろう。でも、今を逃せばもう、こんな話はないのに違いなかった。

 

 (地域の大会でもいい。どんな馬でもいい。そこで、結果を出せば、きっとふんぎりがつく)

 わたしは、そう心を決めた。


 「ねー、あんた貧血なんとかしなよ」

 お姉ちゃんが呆れている。

 「どうして、ただの乗馬クラブの会員が、厩舎の作業で毎日まっくらになるまで仕事してんのよー。それで普通に仕事してさ」

 貧血になるのも当たり前じゃん?

 ね。いいかげんにしとき。

 馬臭くなって帰ってきた時、ふらふらして倒れかけた。

 両親はもう寝ていたが、お姉ちゃんが起きて待っていた。夜勤明けだったので、今日は一日寝ていたのだ。夜になると目が冴えてしまうから困るわ、と、いつも愚痴っている。

 そういえばフラフラしていたなあ最近。なんか目の前が白くなったりしてぇ。

 ソファに座りながら自分の症状を伝えたら、「貧血だね」と断言された。お姉ちゃんは冷静な目で、つくづくとわたしを見つめた。

 「どうすんのよ、その趣味。普通そういうのって、基盤ができている人間がやるものだよ。あんたの場合、完全に物事が逆じゃん」

 うー、分かってんだよね、でもさあ。

 ブツブツ呟いたが、お姉ちゃんが鬼のように冷酷な顔をしたので、仕方なく白状した。

 「実はもう、次の大会をめどに、馬やめようと思う。パート先からも正社員にならないかって言われてるんだ」

 言ってしまってから、なんだか情けなくなって涙が出てきた。

 お姉ちゃんは無言でわたしを眺めていたが、やがてすっと立ち上がり、とぽとぽと何かをコップについで、ソファまで持ってきてくれた。自分の分も持っている。

 

 ウイスキーのロックだ。

 こりゃ強烈だ、お姉ちゃん。

 「まあ飲め」

 と、男前にお姉ちゃんは言い、

 「いただきます」

 と、わたしはおしいただいて、一口飲んだ。熱いものが喉を通り過ぎてゆく。

 「いい判断だと思うよ。あんたは動物好きだし、馬が可愛いのもわかるさ。でも、人生をきちんと立て直してから、また別の形で馬の所に戻るってのもありだからね」

 お姉ちゃんは言った。足を組み上げて、腕を組んで、どうしてこんなに男前なんだろう、うちの姉は。

 

 「お姉ちゃんはなんでお兄ちゃんじゃなかったんだろう」

 と言ったら、馬鹿な子だね、と、呆れられた。


 人生の曲がり角に来るたびに、おばあちゃんの部屋に行き、あの椅子に触る。

 子供の時から、遠回りばかりのわたしだった。励まし続けてくれたおばあちゃんは、高校生の時に亡くなった。

 それ以来、おばあちゃんの部屋はわたしの懺悔部屋になった。

 おばあちゃんの思い出に溢れる部屋の真ん中に、あの懐かしいテーブルセットは未だにある。

 すごく良いテーブルセットなんだよね、と、お母さんが言っていた。これ、もったいないよねえ、どこかで使いたいわあ、と。

 俺が子供の時からあるやつだから古いんだけど、しっかりしていて、未だにきちんと使える。それに、古くなるほどいい感じだよな。お父さんも言う。

 いつかまた、使おう。それまで、ここにしまっておこう。

 家族はそう言い、古いテーブルセットを大事に保管している。

 わたしは、このテーブルセットが好きだ。

 あの、得も言われぬカーブを手でなぞり、ああ、これだから座り心地が良いんだ、とても意味のあるカーブなんだと何度も心で呟く。

 意味のあるカーブ。

 そのワードは、わたしの人生そのものを、力強く励ましてくれるのだった。

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