素敵なおとなりさん 第2章: ソファと、青葉さん

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カヴァース小説部

【連載】素敵なおとなりさん - 恋するHTLのソファ -

第2章: ソファと、青葉さん

そのソファを見た時、ときめいた。
リビングに入った時、別の世界に足を踏み込んだような気がした。

(ちっちゃい時から見慣れた、ばあちゃんちのテレビの間なんだけど)

テレビも時計も棚も、何ら変わらないのに。ソファがあるだけで、これほど部屋の感じが変わるものなのか。

「こぉれぇは、すごい」

りくは言い、にこにこしているおばあちゃんの横をすり抜けて、ぽんとソファに座った。「革だー」と、言い、ソファを撫でまわした。
 
一方、おじいちゃんは足を組んでソファに陣取り、録画した番組を鑑賞している。風呂上がりで、お酒を飲んでいた。いつものおじいちゃんなのに、見ているのも時代劇なのに、なんでこんなにカッコいいんだ?

わたしも、そっと座ってみた。
お尻の下が凄く快適で、ふわっと沈んだかと思ったら、ぐいっと支えられる感じがした。そのままいつまでも座っていたいような気がした。

「設置、よくできたね」

わたしは言った。
 
「じいさんと、わたしと、夢子が今日休みだったから」

おばあちゃんは言った。
あ、夢子おばちゃんがいたのか、と、わたしはほっとした。夢子おばちゃんは、ママの妹で家具屋さんに勤めている。今日はシフト休だったのだろう。
 
「あらーいらっしゃい」

お風呂からあがったばかりの夢子おばちゃんが、Tシャツとショートパンツ姿でやってきた。頭にタオルを巻いている。ホカホカとした体で、どさっとソファに座った。満面の笑顔だった。

「凄いでしょ。このソファさあ、HTLっていうとこので、うちの店じゃまず、お目にかかれないわ」

夢子おばちゃんは知識を披露した。ちょっと得意そうだった。

「これ、良い物よ。まさに本物。職人さんの地道な手作業の結晶だわね。ウーン、至福」

それから、意味ありげな流し目になった。夢子おばちゃんがこういう目をする時は、何かいたずらがある。わたしは構えた。

「そらも年頃なんだからさ。このソファみたいな本物とお付き合いして、ウチに連れてきて、ここに座らせてあたしたちに紹介してよ」

そろそろね。どう、いるんじゃない?

(まーた、そんなこと)

わたしはため息をついた。人のことより、夢子おばちゃんこそどうなんだろう。夢子おばちゃんはずっと、お仕事一筋で頑張ってきたけど。

りくは大喜びで「俺、毎日ここに来て座るわ」と言っているが、それは、わたしが車でここまで送るってことかね。
それにしても、本当に居心地が良い。ママもたまには良いことをするではないか。

このソファみたいな、本物、か。
青葉はじめ氏の、地道にノートを取る横顔が思い浮かび、困惑した。


HTL。シンガポールのソファのブランドで、日本ではあまり知られていないが、世界的に有名らしい。
創業は1976年。若い会社だけど、5000人くらいの職人がいて、一つ一つの工程にこだわって品物を作っている。もちろん材料のレザーにもこだわる。
シンガポールの人にとっては地元の会社って感じだけど、商品としては世界中に広まっていて、まさにグローバル。

なるほどなるほど。
ネットで軽く調べた。

(多分、地元シンガポールじゃ、おとなりさんみたいに親しみある会社なんだろうな)

人の手による地道さで成り立っている。そんな印象だ。

(でも、その実、有名でスーパーマンみたいな)

ぽわんと、イメージが湧いた。そう、スーパーマン。いつもの姿と、本当の姿の同居。
夢子おばちゃんは、ソファみたいな本物と付き合えっていった。そうだなあ、それができたら最高なんだけど。
 
山田そら、22歳。彼氏募集中。


その日、大学は何故か休講ばっかりだった。

真理は彼氏とデートに行ってしまったし、わたしは暇だった。たまには海に行こうかな、と思い、まっすぐに家に帰らず、堤防に寄ってみた。

よく晴れた日で海風は心地よい。それに、平日の昼間なので、堤防には人があまりいなかった。

朝なら釣り人も多いのだが、この時間は、それもあまり見えない。
 
堤防に座り、ぼーっと海を眺めた。海を見ると、やっぱりパパとママのことが思い浮かぶ。この海は、シンガポールに繋がっているのか、と思うと、不思議な気がした。

今はZOOMもあるし、エアメールもすぐ届く。でも、この海は遠くまで続いていて、今ぱしゃっと音を立てて跳ねた水だって、シンガポールから来た水かもしれない。だとしたら、連絡を取り合うまでもなく、わたしとパパママは、この海で繋がれているのかもしれなかった。

小さい頃、シンガポールで暮らしていたことを思い出していたら、邪魔が入った。

「お姉さん、今、暇あ」

知らない人が、いきなり近い距離で腰を下ろしてきた。誰だコイツ、と思っていたら、もう一人現れて、どしっと横に座られた。知らない男に左右を固められてしまい、わたしはドキリとした。

何だ何だ。ちょっと、ヤバイ状態なのではないか?

あの、わたし急いでるので。
堤防で海を眺めていて、用事があるわけもないけれど、そそくさと立ち上がった。すると、左右に座った男どもも立ち上がり、ニヤニヤと前と背後に回り込んできた。

「ちょっと、付き合わない」

 腕が伸びてきて、わたしは身を竦める。
 その時、思いがけない人が現れたのだった。

 「山田さーん」

と、非常に落ち着いて、のんびりした声が間に入ってきた。今にも男二人に腕を取られそうだったわたしは唖然とした。
なんと、あの青葉はじめ氏が、海風で髪の毛をくちゃくちゃにしながら、堤防の上の方から降りてくるところだった。眼鏡が日光で暢気に輝いている。ひょろっと背の高い体が逆光になっており、動き方はゆったりしているが、長い足がさっさと動いていて、彼は凄い早さでわたしの側に割って入ったのだった。

当然、男二人は青葉氏に腹を立てている。なんだお前、と一人がいきなり青葉氏の胸を掴み、もう一人が拳骨を固めた。あ、あ、やられる。目を覆いたくなりながら「青葉さん逃げて」と叫んだ。次の瞬間、それは起こった。

青葉氏は片方の手で一人目の右手を背後にねじり上げ、もう片方の手で、二人目のみぞおちを軽く突いたらしかった。
二人の愚連隊はあっけなく撃沈し、「覚えてろよ」とか、絵にかいたような捨て台詞を残して逃げていった。こんなことが本当にあるのか、と、わたしは腰を抜かしながら呆れた。

「何かされなかった」

と、青葉氏が言ったので、ふるふると首を横に振った。手を伸ばされたので、引きずり上げて立たせてもらった。
こーう、と、海鳥が頭上を通り過ぎてゆく。

「強いのね」

見かけによらず、と口が滑りかけて辛うじて堪えた。青葉氏は眼鏡を直してから「別に。ちょっと心得があるだけ」と、いつもの穏やかな調子で言った。
そのまま何となく肩を並べて堤防を歩いた。

「魚を釣ろうと思ったけど、波が荒かった。小あじくらいは釣れるかと思ったが、諦める。もう今日は、スーパーで魚を買って帰ろうと思う」

青葉氏は堤防を登りきると、置き去りにしてあった釣竿を拾った。作り物の餌がぶらぶら付いている。釣りぃ、と聞き返したら、真顔で「今日は親が留守で、俺が飯を作らなくては。だから」と言った。

「ざ、材料から用意するのね」

と、わたしは言った。なんだか、今まで抱いていた青葉はじめへの印象が変わってきた。

「新鮮な魚が良いと思ったから。釣ればタダだし、試してみたい調理法もあるし」

青葉氏は言った。そういえば彼のゼミの研究は、世界の食料とか、調理法とか、そういった類だったような気がする。
わたしは脱力した。

「あの、そんなに美味しくないかもしれないけど、良かったらおかず、お裾分けするわ。今日、炊き込みご飯の予定だし」

わたしは言った。お礼もしたかったから。
一方、青葉氏はそれを聞いた瞬間、眼鏡の奥の目をぱあっと輝かせたようだった。嬉しかったのか。ますますわたしは唖然とした。

 「かたじけない」

と、時代劇の侍みたいな調子で彼は言い、

「どういたしまして」

と、わたしは頭を下げた。


わたしは味噌汁と肉じゃがの鍋を一つずつ持ち、りくはサラダと炊き込みご飯のタッパーを持って、ふたりで青葉家の玄関に立った。

チャイムを鳴らすと、玄関を開いてくれたのは弟君のほうだった。お兄さんと同じく眼鏡の子で、優しい顔をしている。この子が陸上部なのか、と、意外な感じがした。

「ごはん、お裾分け。良かったら」

と、りくが言った。えっ、ありがとう、と、弟君は素直に受け取った。そして、りくと目を合わせ、お互いに照れくさそうに笑っていた。

兄ちゃん、と弟君は家の中に向かって叫んだ。すぐにばたばたと足音が近づいて、のっぽの彼が玄関に現れる。わたしから鍋を受け取ると「あったかい」と感想を述べた。

はじめ氏とわたし、弟君とりくは、それぞれ見つめあい、なんとなく気持ちが通じ合ったような和やかさの中で「じゃあまた」と言い合い、別れた。空は夕方の色と昼間の色、それから、徐々に迫る夜の藍色がまじりあい、甘く綺麗だった。

「アンタたち友達なの」

「姉ちゃんこそ」

言い合いながら家に戻った。
食事を取りながら、今日はおとなりさんも同じ内容のゴハンなのだと思った。

「あいつ、二太郎って言うんだけど」

肉じゃがを食べながら、りくは唐突に語った。

「目立たない奴って思ってたら、実は凄くてさ。ハードル、いきなり新記録を打ちだした」

へえー。わたしは相槌を打った。目立たないけれど実は凄い、というところで、今日の一件をふわっと思い出した。

「それでいて、すげぇ謙虚でさ。毎朝、一番早く来て走ってるよ、コツコツと」

りくはがばがばと、炊き込みご飯を食べた。

フーン、と言いながら、わたしはわたしで、青葉はじめさんのことを、改めて考えていた。
地道にノートを取る。コツコツと図書館に通い調べ物に励む。彼が、実はあんなに強いなんて、誰が思うだろう?

ふいに、真理の言葉を思い出した。
青葉君いいよ。アタシ彼氏がいなかったら放っておかない。あれは本物よぉ。

ウッ。
喉が詰まりそうになり、慌てて味噌汁を飲んだ。それにしても、なんでこんなに顔が熱いんだろう。
追い打ちをかけるように、りくが言った。

「お兄さん、地味にいい男だよね」

わたしは咳き込みかけた。

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