素敵なおとなりさん 第3章: 恋するソファ
【連載】素敵なおとなりさん - 恋するHTLのソファ -
- 【第1回】 素敵なおとなりさん 第1章: シンガポールからの便り
- 【第2回】 素敵なおとなりさん 第2章: ソファと、青葉さん
- 【第3回】 素敵なおとなりさん 第3章: 恋するソファ ←今回はココ
第3章: 恋するソファ
ソファ、凄くいいね。テレビの部屋がスタイリッシュになっちゃった。それでいて馴染んでるし、おばあちゃんたちも喜んでる。
大事な人たちと一緒に座って、過ごしたくなるねって言ってる。
そらもりくも、お友達とか、大切な人を連れておいで、ソファに座ってもらって、紹介してって言われた。
いつかわたしも、あのソファ欲しいな。いつかって、ウーン・・・・・・そうだね、いつか、結婚したら、かなあ。
じゃあね、体に気を付けてね。こっちに戻ったら、パパとママと、わたしとりくと、みんなで金岡の家行って、ソファに座ろうよ。
おやすみ。
ライン通話を切った。ママはいつでもハイパワーで明るい。愛する人と一緒に世界中を飛び回っているのだ、元気じゃなくてはやっていられないだろう。
それにしても、あのソファは本当に素晴らしくて、今もこうやってソファのことを喋っているだけで、あの頼りがいのある座り心地が蘇り、またあのソファに触れたくなるのだ。
(まるで、恋しているみたい)
ソファに。
ふふっと、意味のない笑いが漏れた。
青葉はじめさんは、生真面目だ。そして、とても礼儀正しい。
鍋とタッパーは丁寧に洗われ、まるで新品のようになっており、しかも、可愛い模様のついた紙袋に入れられて戻ってきた。
それにプラスして手渡しされたのは、何故か、封筒に入った映画のチケットだった。
「まあ、玄関先じゃなんだから」
と、彼を招き入れる。座敷に座らせるのは変だなあ、と思ったので、台所に案内した。
台所ではりくが宿題をしており、誰かが入ってきたのを背中で察して「おーう、来たぁ」と言いながら振り向いた。そして、目を丸くした。
「二太郎かと思ったよー。今日、一緒にゲームする約束したから」
と、りくは言った。言い終わらないうちに、ピンポンとチャイムが鳴る。青葉二太郎君が来たらしい。りくは、わたしと青葉はじめさんを意味ありげに眺めてから、さっと立ち上がって台所を出て行った。玄関の方から、二階行こうぜ、とかいう話声が聞こえてくる。どたばたと足音がした。
りくなりに気を使ったか。
台所は、わたしと青葉はじめさんだけになった。
どうぞ、と勧めると、はじめさんはりくの椅子に座った。
冷蔵庫の冷えたお茶を出すと、はじめさんは、じっとコップを見つめた。コップは汗をかいており、テーブルに小さく水たまりができた。
眼鏡の奥の目が、考え深そうだった。
「食事、とてもおいしかった。ありがたかったし」
と、彼は言った。
「よかった。あんまり料理得意じゃないから心配してた」
わたしも向かいの席に座った。
「そんなことはない。美味しかった。特に味噌汁が」
はじめさんが、間髪入れず言った。
僕に毎日、味噌汁を作ってくれませんか。ドラマの一場面みたいな展開が頭をよぎる。もちろん、彼の口から、そんな恥ずかしい言葉は出てこなかったけれど。
もらってしまった映画のチケットと、はじめさんを眺める。これは、デートのお誘いと思って良いのだろうか。やっぱり、どう考えてもそうだろうか。
「お礼がしたかったから。嫌じゃなかったら、次の日曜に」
と、はじめさんは言った。
その痩せた体が、堤防で二人の愚連隊を退治した。地道にコツコツ勉強する姿しか知らなかったけれど、彼にはそういう面もある。
どんな、人なんだろう?
気が付いたら、胸がどきどきしていた。
「嫌じゃないです」
と、わたしは答えた。
その時、「ウヒョー」と、間抜けな声が響いた。台所のドアの向こうで、どうやら盗み聞きされていたらしかった。
ばたばたと逃げてゆく足音に、わたしは真っ赤になって立ち上がる。慌てたせいでスリッパがすっぽ抜けた。
一方、はじめさんは何食わぬ顔を装いながら、冷たいお茶を飲んでいる。
「こらぁ、りくっ」
廊下に向かって叫んだら、二太郎君と一緒に二階に逃げながら、りくは言った。
「ソファで紹介するんだろ。ヒューヒュー、やっちゃえやっちゃえー」
(後でゆっくり言い聞かせてやる)
なんとか笑顔で取り繕いながら台所に戻ると、はじめさんがお茶にむせていた。ちょっと顔を赤くしているような気がしたけれど、窓から差し込む光のせいかもしれない。
ああ。
あの、ソファで。
一瞬、ある幸せな映像が頭に浮かんだ。
HTLのソファに並んで座る、わたしとはじめさん。
にこにこしてそれを迎える、おじいちゃんとおばあちゃん。りくがかしこまって、お茶とお菓子の盆を運んでくる。
「もうじき、来ると思うわ」
と、おばあちゃんが言うのと同時に、玄関のほうで「ただいまー」と、パパとママの声が響く。
そんな、素敵な、風景。
いつか叶う。
あの、シンガポールから届いた極上のソファに大事な人と座る。それを祝福してくれる家族たち。そんな、素敵な時間を過ごす時が、きっと来る。
それにしても、あのソファが届いてから、わたしもりくも、急速に、おとなりさんと親しくなった気がする。ご縁を繋いでくれているのだろうか。
青葉はじめさんとわたしの交際は順調で、大学の講義では並んで座り、自宅に帰ったら、互いの家を行き来するようにまでなった。
きっと近いうちに、金岡のおばあちゃんの家に招待し、あのソファに座ってもらい、おばあちゃんたちに紹介できるだろうなあ、と、思っていた矢先のこと。
金岡家から、緊急速報が入った。
なんと、夢子おばちゃんが結婚するというのだ。
嬉しいことがあったら、いつも早口になり、テンションがどんどんあがってゆくおばあちゃんである。
その報告の電話は、耳が痛くなるほどハイテンションで、うきうきと楽しそうだった。
「つい最近なのよ。夢子が職場の上司って方を連れてきてね、お座敷じゃなくて、あのソファのあるリビングにお通ししたわけ。それで、何となくそうなのかしらって思ってたら、やっぱりそうだった。ひっそりお付き合いしてたらしいのよねー。それで」
結婚するんだって。
嬉しいじゃないのぉ!
おばあちゃんは大喜びだ。
もちろん、その知らせはシンガポールのパパとママのところにも行った。
それで、ママたちは急遽、帰国を決めたようだ。
早速、わたしはママに電話をかけた。既にママはおまつり状態で、浮かれていた。
「お祝いしなくちゃー」
ママは、おばあちゃん以上にハイテンションで喜んでいる。
「なんだろう、何がいいかなぁ。そら、夢子へのお祝い、何がいいと思う」
何って、決まってるじゃない。
夢子おばちゃんは、旦那様と新居に住むだろう。そのお宅のリビングには、やはり、あの素敵なソファが似合う。
ソファ。いいなあ。いいなあ、おばちゃんったら。
「あーあ、先、越されちゃったなー」
ぽろっと、口から出てしまった。言ってから、しまったと思ったがもう遅かった。
電話口で呟いたものだから、それはしっかりママの耳に届いてしまったのだった。
そらもりくも、パパとママが願うことは一つ。
「本物を見る目」を養って欲しいということ。
そして、そらもりくも、きっと、そういう目を持つ人に育つって、パパもママも信じているから。
ママの言葉は胸の深いところに刻まれる。
「本物を見る目」。
おばあちゃんちの素敵なソファのように、「本物」は、意外に近いところで輝いているものなのかもしれない。
その輝きに気づけたならば、きっと、幸せになれるだろう。
わたしは、恋してる。
あのソファに。
それから、あの人に。