人生の祝福 第2章: 至福の天使と、仕事の武人

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カヴァース小説部

第2章:  至福の天使と、仕事の武人

 そのシーリーというベッドは天国のようにゴージャスで、それ一つだけで世界を持っていた。物凄い存在感なのに、圧迫感などはない。わたしの寝室に設置されたが、もう、部屋に入る度に「ここはどこだ」と思ってしまう。

 (いくらしたんだ)

 そういう現実的なことで狼狽えたが、あさ姉ちゃんが太陽みたいな笑顔で「何言ってんの、わたしを誰だと思ってるのよ」と、問答無用でその狼狽を吹き飛ばした。

 

 そっか。あさ姉ちゃんは店のオーナーだった。そりゃあ、富豪というわけじゃないけれど。

 しかし、それにしても、だ。

 「いいのかね。ただの介護士がこんなベッド使って」

 わたしの場合、今自分が働けていないと言う引け目がある。素直に贈り物を受け取ることができないでいた。

 対してお姉ちゃんは、

 「だから、今のあんたに必要なものだって言ったでしょ」

 と、軽くかわすだけだった。

 必要なもの。

 お姉ちゃんが仕事に出てゆき、一人、家に取り残されたわたしは、自分の寝室で途方に暮れる。

 雪が積もったせいで、庭から眩しい光が差していた。多分そのせいだろう、その美しく柔らかで最高に魅力的なベッドの上に、天使みたいなのがいるように見えた。

 「ほら、寝てごらんってば」

 いや。

 わたしは目をこすった。ぎっくり腰と、坐骨神経痛の次は、認知機能に問題が生じたのかと思った。

 その、ふくふくとした丸く白い体に、ふわふわの羽根を生やしたそれは、やっぱり天使だった。

 (何と言うことだ。極上のベッドには、天使が添付されていた)

 「ハーイ」

 と、天使は片手をあげてウインクし、おいでおいでをしているのだった。


 至福の天使の存在を、案外簡単に受け入れてしまったのには理由がある。

 実はわたしには、仕事の武人というやつが見える。それは、しんどさに負けて「もういい」と逃げたくなる時に現れるやつで、三国志に出てくる武将みたいな恰好をしている。

 ぎっくり腰と坐骨神経痛と精神的苦痛という三大悲劇に見舞われている中、毎日のようにそいつは現れ、恐ろしい顔で迫ってくるのだった。

 (変なものを見てしまう特性があるのかもしれない、うちら姉妹は)

 あさ姉ちゃんも霊感的なものはあるのだと思う。そうじゃなかったら、あんな商売はしていないだろう。

 「仕事せんかい。ああ辛い辛い」

 と、仕事の武人は耳元で囁く。怒気の籠る声だ。その目つきときたら、プロフェッショナルなスナイパーみたいである。

 すいませんすいません。わたしは毎回、そいつに詫びる。治り次第頑張りますから。っていうか、ほんと、今までの倍以上、職場に貢献しますけん。

 その武人の顔は、職場の荒木さんにそっくりである。荒木さんは同僚の中でもきつい性格で、小さい子供がいるパートさんが仕事を休んだ時も、「困るわねぇ」とはっきり口に出す。今回のわたしの休暇についても、絶対に何か言っているはずだ。

 その、荒木さんが仕事の武人になって迫ってくるのだから、心休まるわけがなかった。

 「本当に心から誠に申し訳ございません申し訳ございません申し訳」

 と、わたしは言い、ちらっと仕事の武人を見上げた。いつも、謝罪しまくればすうっと消えて行ってくれる。要するに、こちらを責めまくることで自分の気が済めば落ち着くらしい。それにしても似合うよ荒木さん。そのコスチューム。

 武人は消えてくれたが、罪悪感は消えなかった。早く仕事に戻らなくては。腰もなんとかなりそうだし、ドクターストップがかかっているけれど、もう見切り発車して出勤しちゃおうか。

 寝室では至福の天使がふかふかのベッドで寝ころび、頬杖をつきながら「おいでー、ねえおいでー」と手招きしているだろう。

 しかしわたしは、そんな気分ではなかった。時計を見ると、もうじき職場の昼食の時間だ。今から急げば食事介助に間に合うかもしれない。そう思った時、ピンポンとチャイムが鳴った。

 インターホンで見てみたら、知っている人だった。あさ姉ちゃんの仕事の関係の人で、あさ姉ちゃん以上に得体が知れないタイプだ。

 一見、普通の主婦なのだけど。

 「こんにちはー。あささんに頼まれた品物、こっちに持ってきたわ」

 と、七色さんは言った。多分、芸名だと思うけれど、七色しあわせさんという。七色さんは、ペットボトルを半ダース、プラスチックの籠に入れてきていた。重そうにどさりと玄関に置き、フーと息をついている。ガシュガシュとエンジンの音が聞こえていた。うちの駐車スペースに車を停めているのだ。

 「雪酷くなかったです」

 と聞いたら、「まあ」と、返事が返ってきた。気の毒だったので、お茶でもいかがですかと誘ってみた。七色さんは、「それじゃあエンジン切ってきます」と言った。

 勝手知ったる他人の家みたいなものだろう、七色さんにとって、うちは。

 あさ姉ちゃんと仲が良いし、仕事以外でも遊びに来ることがある。

 しかし重そうな籠だ。ペットボトルには水が詰められていて、うっすら光を浴びて輝いていた。

 日本や世界のパワースポットを巡り、そこのお水を集めてきては、必要な人に販売するのが七色さんの仕事である。よく「水商売」と、笑って言っているけれど、そういう需要があるのかと驚くばかりだ。

 台所で紅茶とビスケットをお出しした。七色さんは寒さのあまり、ほっぺたを赤くつやつやさせている。暖房のきいた部屋に入って、やっと落ち着いたみたいだった。

 「休暇中だってー」

 と、七色さんはコートを脱いで言った。はい、と答えると、妙に鋭い目でわたしを見つめ「まあ、休むべきじゃない」と言った。

 七色さんもまた、それ系の力を持っているので、わたしの状態が分かるのだろうーーまあ、眉唾だとわたしは思っているのだけど。

 「そのさ、肩にもたれかかってる三国志みたいな人」

 と、七色さんが言い出したので、少なからずギクッとした。

 「お肌のトラブル大変そうだわ。ストレスフルだわねー」

 気の毒。こういう方にこそ、幸せを味わってもらいたいんだけどさあ。七色さんは紅茶をぐいっと飲み干した。

 荒木さんの顔を思い出す。肌トラブルと言えば、確かに荒木さんの肌は吹き出物の嵐だ。不規則な食生活のため、どうしても肌の調子は悪くなってしまうのだ。

 しかし、確かに荒木さんの肌は、同僚の中でも群を抜いて酷い状態かもしれない。

 「幸せって、どういう」

 何となく、わたしは聞いてみた。目に見えないものについて語る気はないけれど、あまりにもざくりと七色さんが言うので、どういう見解か聞いてみたくなったのだ。

 「守護霊様に感謝するとか、すべての運命に感謝するとか、そういう感じの幸せですかねー」

 ちょっと、嫌みだったかもしれないな、と、口に出して言ってから、後悔した。

 七色さんは鋭くわたしを見た。

 「何言ってんの。物理的な幸せ、人生の幸福、至福感よ。人間、カスミ食って生きてるわけじゃないのよー」

 と、言った。

 

 「良いもの食べて、良い環境で過ごすからこそ、身も心も良い状態になる。そして、力を蓄える。だからこそ良い仕事をばりばりできる」

 七色さんは言った。そして立ち上がった。仕事に戻るらしい。

 「ゆうちゃんもさ、仕事大変なのはよく分かるし、その仕事が凄く大事な仕事ってのも分かるけれどさ」

 まずは、自分に良いことをしてあげないと。自分が十分に癒されて、幸せにならないと。

 よっこらせ、と、コートを着てボタンをつけた。これからまた、水の配達に行くらしい。冬の時期に大変なことだ。

 

 「まあ大丈夫だね。今のゆうちゃんには、天使さんがついてるからさー」

 と、最後にまた鋭いことを言い残して、ブブウと去っていった。七色さん、あなどれない。

 背後の三国志はまだ、「つらいー、ひどいー、しんどーい。仕事仕事。しーごーとー」と呟いているけれど、その声はずいぶん小さくなった。

 七色さんが何か魔法をかけていったのだろうか。仕事の武人を気にするよりも、寝室にいる至福の天使の方に、気持ちが向きかけていた。

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