人生の祝福 第3章: 幸せになってもいい

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カヴァース小説部

第3章:  幸せになってもいい

 シーリーのベッドで眠る時、最初のうちは申し訳なくてたまらなかった。

 仕事をお休みして、同僚のみんなに迷惑をかけまくって、お姉ちゃんだけに働かせて。こんなわたしが、こんな素敵なベッドで休んで、おてんとうさまに顔向けができない。

 そんな思いでいっぱいだった。

 けれど、ふわっとベッドに触れると、いきなり極上の癒しの世界に心が飛んで行く。

 背後でブツブツ怒っている仕事の武人も「おま、ちょ、ちょ、まて」と慌てたように言いながら、すうっと遠のいていく。

 

 どうやら、このベッドには、仕事の武人を遠ざける効果があるらしい。

 寝室を別世界に代えてしまうほどパワーのある存在感。至福の寝心地。確かに天使が住むだけある。

 「あああー」

 ベッドに転がると、全身のこわばりがすうっと抜けてゆくような気がした。

 見上げる天井が、いきなり優しくなる。

 ここにいると、世界がものすごく明るく、柔らかくなり、全身丸ごと包んでくれるように思われるのだ。

 いいんですか本当にここで寝ていいんですか。

 ラグジュアリー感に包まれながら、神様に問いかける。いいんですか。まじで?

 至福。

 この二文字がババーンと頭の中に浮かぶ。夜空に舞い上がり、ぱあっと鮮やかに花開く花火みたいに「至福」の二文字がきらきら輝く。

 

 ここで寝たら、なんか、絶対、明日いいことありそう。

 目を閉じたら、自分がとても祝福された人のように思われる。ふわっと受け止めてくれるベッド。手足をのびのびと伸ばし、どこも力みはない。

 花びらや、白いキレイな羽根が天から降ってくるような感覚。

 

 「ねー。やっぱりこれ、必要でしょー」

 と、至福の天使が耳元で無邪気に囁く。

 ベッドに埋もれながら、頬杖をついて。

 わたしは答えられない。こんな素敵なものが、自分に必要だなんて、言い切って良いのかと思う。

 

 「良いんだよ。幸せになっても」

 天使は言う。

 その言葉はふうっとベッドの中に吸い込まれ、至福の感触に変わる。

 

 幸せになっても良い。自分が幸せであることを許そう?

 そう、ベッドは囁いている。それはまるで子守歌のように心地が良くて、気が付いたら深く気持ちよく眠ってしまうのだ。

 極上の、天使の眠り。


 「まあ、無理せず頑張ってください。リハビリにもちゃんと来て」

 その日、整形外科の先生と話をした。

 腰の痛みの状態や、足のこわばり状況を見て、「もう復帰してもいい」と、先生は判断を下した。

 

 仕事に戻っても良いよ、という言葉は、あまりにもあっけなかった。

 あんなに「早く仕事に」と思い詰めていたのに、いざその時を迎えると「なんだー」と思えてしまう。

 ありがとうございました、と、お礼を言って、病院を出た。

 じょわじょわと融雪装置が水を吐き出しており、病院の駐車場はぬるく水浸しになっていた。

 思ったより回復が早くて良かった、と、先生は言ってくれていた。自分でも、永久に痛みが続くのではなかろうかと絶望していたのに、どんどん良くなったので意外だった。

 お薬と、注射と、リハビリと、休養のたまものだろう。

 それにしても、あのベッド。あれは、休養を最高のものにしてくれたと思う。

 もちろん、ぎっくり腰がシーリーのベッドで治ったとは思っていない。ベッドでぎっくりが治ったなど、わたしの周りでは聞いたことがないからだ。

 しかし、休養期間をよりリラックスできるようにしてくれたのは、間違いがない。そして、自分自身の心の平安を取り戻す手助けもしてくれた。

 天使のベッドよ!

 

 (あれは、価値があるわー)

 毎晩、あのベッドでなら、気持ちよく眠れる。朝の目覚めも良くなったみたい。

 寝室にいる時間が尊くて、一瞬一瞬がかけがえなく思えてしまう。

 (明日から仕事だ)

 荒木さんはどんな顔しているだろう。

 それを思うと、ちょっと気持ちがひるんだが、いや自分にはあのベッドがついているんだし、と思うことができた。

 

 くたくたになるまで働いても、十分に癒されて、自分を大事にできる空間がある。そのことがどれほどパワーになるのか、改めて感じるのだった。

 頑張りたいならば、良い環境で良質な休養を取る必要がある。シーリーのベッドには、それが十分、備わっていた。


 「シーリーって、アメリカのブランドなのよ」

 

 いよいよ明日から仕事復帰ということで、その晩、あさ姉ちゃんとわたしは簡単な回復祝いをした。

 あさ姉ちゃんがワインとチーズを買ってきてくれたのだ。今回は、ベッドを買ってもらったり回復祝いしてもらったり、至れり尽くせりだったなあ、と思う。

 ロゼワインで乾杯をし、チーズとナッツをつまみながら、夜のひとときを過ごす。

 姉妹がそれぞれの寝室に引き上げる前の、共通の時間。

 昔から、わたしはこの時間が好きだった。早くからわたしたち姉妹は、別々の部屋を与えられた。仲が良かったけれど、時々はどちらかの部屋で一緒に寝たりしたけれど、基本、自分の部屋で過ごした。勉強をしたり、好きな本を読んだり、インターネットをしたり。思えば、自分だけの時間を大事にして育ってきたように思う。

 「へえ、アメリカのベッドなの。なんか分かるなあ」

 わたしは言った。

 アメリカと言えば、自由で、一人一人がしっかり自分を持っているイメージがある。そうか、みんなああいう至福のベッドのある寝室で時間を過ごし、力を蓄えるから、あんなに自分をしっかり持てるのかもしれない。

 

 ふわっとして、それでいて全身をしっかり受け止めてくれる素晴らしい寝心地。

 あんなベッドが部屋で待っていてくれるなら、どんなことも前向きの捉えられそうだ。

 寝室で過ごす時間が、楽しみになる。寝室で、自分を取り戻す。そのための、極上のアイテム。

 「アメリカって、日本と違って、寝室で過ごす時間がすごーく、多いらしいわよ」

 あさ姉ちゃんは、お酒が回ってほんのり綺麗に染まっている。色白の肌に赤みがさして、なんだか色っぽかった。

 「良いものを下さって、ありがとう」

 「どういたしましてー」

 改めてお礼を言うと、あさ姉ちゃんは大輪の花のように笑ったのだった。

 外ではまた、しんしんと雪が降っている。

 明日は雪かきをしてから出勤しなくてはならない。だから、今日は早めに休もう。あの、極上の、天使の住むベッドで。

 

 おやすみを言い合ってから寝室に入った。やっぱり、シーリーのベッドのある風景は良い。癒しの空間だ。

 そっとベッドに座ったら、至福の天使が「ようこそ」と囁いた。可愛い天使。

 ふっと視線を感じて暗い部屋の隅を見ると、荒木さんの顔をした仕事の武人が、なんとも言えない顔をして立っていた。

 荒木さん。今日も、お仕事大変だっただろう。

 でも大丈夫。明日から、わたしも頑張るから。

 「多分、あなたにもこの至福は必要」

 と、武人に向かって言ったら、ものすごく狼狽えた顔をして、すーっと消えてしまった。あら、何か悪いことを言ってしまったかな。

 ああ、でも。

 「ねえ、天使」

 わたしは、ベッドの天使に話しかける。天使はベッドに埋もれながら、ふっくらした顔でにこにこ笑っていた。

 「いつか、荒木さんと仲良くなれることがあったら」

 

 うんうん。天使は頷いた。大丈夫。きっと、その日は来るよ。十分に癒されて、幸せを享受したあなたになら、それが実現できる。

 

 「荒木さんに、こんなベッドを勧めてみたいな」

 そう言って目を閉じたら、天使がふふっと柔らかく笑った。

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