長くまっすぐな道 終章: 受け継がれるもの

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カヴァース小説部

終章: 受け継がれるもの

 棚山さんの仕事は、やっぱり信頼できますよ。それは、苦労することは多いですが、やっぱりそれは必要な苦労で。

 今回の仕事、お客さんも物凄く喜んでおられます。良かったです。

 昔ながらの緻密な編集が、この先どこまで残るやらわかりませんが、棚山さんの仕事はずっと引き継がれて欲しいと心から思いますよ。ありがとうございました。


 先方からの電話は、とにかくがなり立てるような大きな声だったので、受話器から外に筒抜けだった。

 受話器を耳に当てている棚山主任の鼓膜が心配になるくらいだった。

 最も、この人はもともと声が大きくて威圧的で、そのために仕事が苦痛に感じる場面もあったものだ。別に悪意はなく、ただ声がでかいだけの人なのだろうけれど。

 「フー」

 電話を切って、棚山主任は大息を付いた。

 

 わたしが骨休めをしている間も、棚山主任はこの戦場で修羅のごとき戦いを繰り広げていたのだろう。印刷会社だの他の工程の部署だのと言い合いながら、編集の手は休めない。次の仕事のラフを起こし、指示を出し続ける。

 なんとまあエネルギッシュな人だろう。真似できるものではない。

 「耳が痛い。俺は少し屋上に行く」

 いきなり棚山主任は立ち上がった。勢い良すぎて椅子がばたんと倒れ、ペン立てが倒れて床にばらばらと落ちた。

 うわあ主任、気を付けてくださいよ。

 通りがかった事務の子がペンを踏みそうになって悲鳴を上げている。しかし棚山主任はまるで気にとめず、のしのしと歩いて部屋を出た。

 わたしは床に落ちたものを拾い、倒れた椅子を直した。

 机の上には、さんざんコーヒーを飲んで洗わないままのマグカップが置き去りになっている。それを持って流しに行くと、洗って拭いて、また机に置いておいた。

 疲れただろうなあ、棚山主任も。

 わたしには休めって言ってくれたけれど。

 その時、電話が鳴ったので慌てて出た。棚山さんおられますか、と、ただ事ではない勢いで言われた。

 「少しお待ちください。今呼んでまいりますので」

 保留にしてから部屋を出た。棚山主任のいる屋上に行かねばならない。階段をかけのぼり、重たいドアを開くと、びゅううと身を切るような風が吹き込んだ。曇天で、今にも雪が降りそうな中、棚山主任はガッツポーズをして天になにか叫んでいた。

 どうだ見たか、俺は今回も勝ったぞ!

 (見なかったことにしてあげよう)

 そう思いながら、なるべく大きな足音を立てて棚山主任に近づいた。棚山主任はとりつくろうでもなく、ぶすっとした顔で振り向いた。用件を言うと、「うん」とだけ言い、いつもの恐ろしい顔で階段を降りて行ってしまった。

 印刷会社からの電話だったから、おそらく、また修羅場が演じられるだろう。納期が近い仕事だから、また徹夜になるかもしれない。

 まあ、やるしかないか。

 空を見上げたら、白い羽のような雪がひとひら落ちてきた。あらっと呟いたら、そうしている間にも、はらはら次々に雪が舞い落ちた。

 

 多分、ホワイトクリスマスになる。


 花はじっくり考えた末に、福祉大学に進学することに決めた。

 

 「専門学校も良いよ。すぐ仕事できるしさ、現場で可愛がってもらえると思うし」

 肩を竦めて花は言う。

 「でも、わたしはもっと深く福祉を知りたい。お金も時間もかかるけれど、申し訳ないけれど」

 申し訳ないって言うなー。

 わたしは言っておいた。

 お母さんはパート。お父さんは会社。花は、今日は授業は休みだ。わたしはそろそろ出勤しなくてはならなかった。

 外は雪が積もっている。しんしんと、足元から寒さが立ち上がるような日だった。

 雪の白さが飛び込んできて、縁側はとても明るかった。籐の椅子に、白い光がさしこむようだった。

 花は縁側に小さな電気ストーブを持ってきて、スイッチをひねった。

 ほんわかと、籐の椅子の付近があったまってゆく。

 「おばあちゃんにさあ、夢の中で叱られちゃって」

 花は、愛おしそうに籐の椅子を撫でた。まるで、そこにおばあちゃんがいるかのように、椅子に向かって語っている。

 「花にとって、本当に良い道を選んで進みなさいって。今だけの都合で選ぶのではなく、自分にとって何が本当に良いことなのか、目を逸らさずに見なさいって」

 花は、おばあちゃんっ子だった。

 なにかにつけて相談するのは、いつも、おばあちゃんだった。

 おばあちゃんは籐の椅子に腰かけ、編み物をしながら、花の悩みを聞いた。おばあちゃんは優しいだけの人ではなかったから、たまに花は叱られていたようだ。

 亡くなってからも、おばあちゃんは花のことを叱りに来るのか。

 ちょっと、羨ましかった。

 「その椅子、わたしがあっためておくわ」

 あまりにも花が名残惜しそうに椅子を撫でるので、わたしは言ってやった。

 花が県外の大学に行ってしまったら、椅子はひとりで取り残されてしまう。かわりにわたしがそこに座り、おばあちゃんが寂しくないようにしてあげないと。

 花は椅子の足元に座り込み、大きく腕を広げて椅子を抱えるようにした。まるで、おばあちゃんの足元にもたれ、膝に甘えるように。

 

 「持ってくわよ」

 「えっ」

 「うそうそ」

 ケラケラと花は笑う。その目は潤んでいるけれど、明るく希望に満ちていた。

 「帰省したら、わたしのものだからね。それに、いずれ大学を出たらまた戻ってくるし、そうなったらさあ」

 眩しいくらいの笑顔で、花は言った。

 「お嫁に行くとき、この椅子を持ってくかもしれないわ」


 古い古い、籐の椅子。

 とても丈夫で、とても良いものだから、きっとこれからもずっと、真田家の歴史を見守り続けるだろう。

 

 籐の椅子に、おばあちゃんが優しく笑って座っていて、わたしと花にゆっくり頷いてから、すうっと空気に溶けて消える。

 そんな幻を見たような気がした。 

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