祝福のかたち 第1章: おじいちゃんのニヤニヤ笑い

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カヴァース小説部

【連載】祝福のかたち - 家族を見守る椅子、秋田木工 -

第1章: おじいちゃんのニヤニヤ笑い

 定年間近になりながらもラブラブな(なのだと思う、結果的に)両親は、わたしたち四姉妹の心ばかりの前祝を遠慮なく受け取り、産前旅行に旅立った。

 あの衝撃的な妊娠発覚から、もう五か月が過ぎようとしている。

 高齢出産なので、最初、みんなは腫れ物に触るようにしてママをいたわっていた。ところが、当の本人はけろりとして仕事をしたり、おでかけをしたりと、何ら変わらず活動していた。

 「今更なによ。あんたたちがおなかにいる時だって、ずーっと仕事してきたのよー」

 と、ママは言い、平気な顔で重たい買い物袋を持ったり、テストで悪い点を取ってきたさおりを叱り飛ばしたりしていた。

 「そんな声出したらおなかの赤ちゃんが泣くよ」

 と、さおりが言い返したら、ママは、「へっ」と言った。妊婦にあるまじき柄の悪さだった。

 「ばーか。あんたら妊娠してた時なんか、パパとどれだけ夫婦喧嘩したと思ってんのよ。凄かったわよー」

 と、胸を張った。手が付けられなかった。

 まあそれでもママなりに動きたいのをセーブしていたらしい。なんとなくだけど、動き方がゆっくり穏やかになったと思う。

 やがて妊娠が無事に進行し、安定期と呼ばれる時期に突入したのを見計らって、わたしたち四姉妹からパパママに、旅行をプレゼントすることにしたのだった。

 「餞別あげるから、赤ちゃんが生まれてから必要なもんとか、旅行先で見つけてきたら」

 と、かおり姉が四姉妹を代表して言った。

 

 「かわいいおくるみとか、ベビー服とかさあ。旅行先で買ってきたら、思い出になるよ」

 わたしも口を添えた。両親が以前から、東北の方に旅行に行きたがっているのを知っていた。だから、両親が旅行先を秋田に決めたことは意外ではなかった。

 秋田でなにを買い求めるのやら見当もつかない。ベビー服は必要なものだけど、わざわざ秋田まで行って買ってくるようなものではないだろう。

 「そんなことより滋養のあるもん食べて、元気な赤ちゃん産んで」

 妙にやさしいことを、みのりが言った。みのりは優等生だしいつも冷静で、四人の中で一番クールだ。とっつきにくいように見えて、実は一番優しいのもみのりだった。

 ママの妊娠が分かったときも、「どうするんだろう」と、現実的なことを言いながら、一番、ママの体のことを心配していたのはみのりである。

 「ねぶた見てきたら」

 と、常識を知らないさおりが無邪気に言った。中学生のくせに、ねぶたが青森の祭りであることを知らないらしい。みのりが静かに、「ねぶたじゃないよ、ナマハゲだよ」と言った。

 妊婦がナマハゲを見る図を想像したら、妙に笑えて来た。

 

 「実はね、ロッキングチェアを手に入れようと思っているの」

 ママは嬉しそうだった。

 「ロッキングチェアって、つまり、揺り椅子よね。昔、うちにもあったの、あんたたち覚えてるかな」

 ゆらゆらと体を動かしながら、ママはうっとりと言った。

 

 古い、古いロッキングチェアがね、うちにあったじゃん。

 あんたたち、みんなその揺り椅子が大好きでさ。四人みんなで押し合いへし合いして乗って、凄い揺れ方してたわよ。

 でもあれ、壊れないでどんどん揺れてさ、あんたたちみんな、それが本当にお気に入りだったわあ。

 ママの思い出話を聞いて、わたしたち四人姉妹は顔を見合わせた。

 かおり姉は、はっきりと覚えていて「あったわー。あれどうしたのよ。捨ててないよね」と、言った。そして、わたしをじいっと見た。

 もちろん、わたしもその椅子のことをよく覚えていたーー夢の国行き、発車しまあす。ぎいぎい、ぎいぎいーー古いけれどすごく丈夫で、頼りがいのある感じがしたロッキングチェア。あれはおじいちゃんのロッキングチェアだ。日の当たる縁側に座り、ゆらゆら揺れながら、おじいちゃんは庭を見ていた。庭で遊ぶわたしたちを見守っていた。

 優しい目で。

 「あったあった」

 みのりも思い出したようだ。「あれ凄く古かったよね」

 「ああー、あれね」

 さおりまで言い出した。

 そして、さも自分だけが知っていることをこの場で発表するかのように鼻を膨らませて、こう言った。

 

 「あの揺り椅子、パパも子供の頃、遊んだって聞いたわ。だから、すごい年代物のはず」

 ママはにこにこして、わたしたちを見ていた。

 すごく幸せそうな顔で、まだそんなに目立っていないおなかをさすっている。妊娠してから、日に日にママは若返っていくように見える。つやつやとした頬はピンク色を帯びて、実年齢より十歳は若く見えた。ホルモンの影響だろうか。妊娠ってすごいものだ。

 「そう。そのロッキングチェアで、あんたたちが皆、あまりにも楽しそうに遊んでいた記憶があるからさあ、だから」

 だから今度は、ちっちゃい赤ちゃんのために、新しいロッキングチェアを、うちに迎えたいって思ったの。

 こんな幸せな情景が、わたしの脳裏をよぎった。

 赤ちゃんを、パパがあやしている。ママはロッキングチェアで編み物をしている。

 ママは編み物の手を止め、両手を差し伸べる。

 パパから、丁寧に、慎重に渡される、生まれたての柔らかな命。

 こう見えて、ママは編み物が好きだ。わたしたち四姉妹は皆、ママの手作りのセーターや手袋で育った。

 ああ、目に浮かぶようだ。

 ママはロッキングチェアで編み物をしたり、あやし疲れたパパから赤ちゃんを受け取って抱っこしたりする。ロッキングチェアはゆらゆら揺れ続け、きっと赤ちゃんはよく眠るだろう。

 ふふっとママは笑い、またおなかをさすった。

 小さいベイビー。

 ママのおなかに宿った命は、どうやら、男の子らしかった。

 高齢出産だけあって、パパもママも、慎重だった。産む産まないの問題とは別に、高齢出産ならではの不安事項がいろいろとあり、検査を受けたようだ。結果、ママのおなかの命は健康そのもので何ら問題はなく、おまけに性別まで分かってしまったのだった。

 「あんたたち知らないだろうなー。秋田には秋田木工っていう会社があってさ。そこが、1世紀以上続いていて、椅子とかいろいろな家具を作る技術がほんとに凄いんだって」

 ママは頬杖をついて、わたしたち四人の顔をひとつひとつじっくり見つめた。まるで、自分が産んで育ち、大きくなった娘たちがどんなに素晴らしいか、誇っているかのような顔だった。

 「その秋田木工で、良いロッキングチェアをひとつ、頼んでこようかなって」

 百年以上、受け継がれてきた職人の技術と思い。

 そこで作られる椅子やテーブルやいろいろな家具たちは、歴史につちかわれた技術の結晶だろう。

 職人たちの真摯な目。熟練の手つき。若い人たちへ確実に伝えてきた大事なもの。

 

 (なんて幸せな眺めだろう)

 庭から差し込む柔らかい光の中で、ロッキングチェアに揺られる母子。それを見守るパパと、わたしたち四姉妹。

 ロッキングチェアがゆらゆら揺れる。まるで乗り物のように揺れる。夢の国行きのロッキングチェアだ。

 それは、遥かなる時間の中で磨き上げられてきた技術が、どんどん、どんどん輝きを増しながら、未来に続いてゆくかのような。

 次の世代へ愛情や希望を溢れるほど注いで、どんどん、どんどん幸せになってゆくかのような。

 素敵なロッキングチェアが、うちにやってくる。


 弟。

 ママは、秋田木工の新しいロッキングチェアに座り、赤ちゃんをそっと受け取って抱いて、ゆらゆらと揺れるだろう。

 「曲げ木って、ほんと、一年だか二年だか十年だかでできるもんじゃないんだってさ。一世紀以上続いてきた技術っていうから、まあ、一人の人間が一生かかったって、できるようなもんじゃないってことだろうな」

 ロッキングチェアのことを語る時、ママは夢見るような目をしていた。

 「凄いじゃない。それにさ、わたしもパパもイイトシだし、どうせなら、本当に良いものを赤ちゃんのために用意したいのよ」

 赤ちゃんの、そのまた赤ちゃんも、使える位の良いものをね。

 揺り椅子。

 なんとなく、ぼんやりした。

 ママが揺り椅子について語っている最中、頭の中では妙に懐かしい匂いと音が蘇っていた。

 きい、きい。

 

 縁側からはタンポポが咲く庭が見え、風が柔らかく入り込む。

 きい、きい。

 大きなロッキングチェアは、まるで夢の国行きの乗り物のようだった。そこに座り、のんびりと体を椅子に委ねて居眠りをするのは、どんな心地だろう。

 疲れた体も、大きな体も、小さな体も、ぜんぶしっかり抱きとめて、ゆらゆらと揺れている。

 

 (おじいちゃんの古いロッキングチェア、どうしたかなあ)

 幼い日の記憶に、椅子に揺られる情景があった。

 確かに東家にはロッキングチェアがあった。だけど、一体今は、どこにいってしまったのだろう。

 ママ、うちに揺り椅子なかったっけ。

 そう聞きたかったけれど、目の前で二人の妹が、秋田やらねぶたやらの話で言い合いを始めてしまい、落ち着いてものを考えることなどできなくなった。

 

 「やん、楽しみ」

 と、年がいもなくママは喜び、そのウキウキルンルンを最高潮に溢れさせて、パパと腕を組んで電車に乗った。

 二泊三日の旅行に、両親は行ってしまった。

 思えば、たった三日とはいえ、四人姉妹だけで生活するのは初めてだった。


 両親がいないうちに、家の中を綺麗にしておかなくては、と思う。

 子供を産んだことはないけれど、下の二人の妹が生まれた時の記憶がおぼろげにあるので、なんとなく分かっているが、赤ちゃんにとって、なるべく広々とした空間が望ましいだろうから。

 わちゃわちゃと姉妹が四人もいると、家の中はものに溢れている。

 もう一人家族が増えるとして、一体どこで小さな弟を遊ばせるのか。

 かおり姉は整理整頓が苦手なくせに買い物が好きで、洋服やらバッグをどこにでも放り投げておく癖がある。赤ちゃんがそれらで遊んだり、口に入れたりすることを思うと、ちょっとぞっとした。

 みのりは、自分のものをキッチンやリビングに放り出しておくようなことはしない。その代わり、誰かが自分の持物に不用意に触れようものなら、凄い勢いで怒るーーみのりの怒りは恐ろしいのだーー赤ちゃんの世話はするわよ、でも、わたしの領地には絶対に入らないでよね、と、多分、みのりは主張するだろう。

 さおりは嬉々としている。わたし保母さんになりたいの、だから赤ちゃんは大歓迎よ、とか言いながら、早速、保育士が主人公の漫画を読みだしている。なんにでもすぐにはまりこむが、飽きるのも早い。したがって、さおりは、持物が多い。

 わたしはと言えば、家事手伝いしている都合上、整理整頓や掃除は毎日のようにしている。

 姉妹たちのくちゃくちゃぶりは、なんとも悩ましい。一時は本気できれいにしようと頑張ったものだが、今ではもう諦めていた。女が四人集まればカオスである。しかも、姉妹のくせにみんな、てんでばらばらの性格と趣味を持っている。これに弟が加わると思ったら、眩暈がしそうだ。

 (ママと赤ちゃんのための部屋が絶対に必要)

 その部屋は、どこにあるのか。

 東家に、余っている部屋は一つしかなかった。

 亡くなったおじいちゃんの部屋である。

 (暇見て整理しておいてって、前から言われていたんだよなあ)

 面倒なことは何でもわたしにぶつけてくるママである。おじいちゃんの部屋を片付けてほしい、と何度も言っていた。

 幸い、おじいちゃんは綺麗好きなほうだったし、部屋の中はものが溢れているわけではなかった。良いものを少しだけ持つのが、おじいちゃんの主義だった。

 

 かおり姉は派遣の仕事に。

 みのりは高校に。

 さおりは中学に。

 まるで、桃太郎の昔話の中で、おじいさんが山にしばかりに行くかのように、両親不在中でも、姉妹たちはきちんと自分の日課をこなしている。

 しいんとした家の中で、一人残されたわたしは、川でせんたくをするかわりに、おじいちゃんの部屋の片づけを始めなくてはならなかった。

 一週間に一回くらい、風を通したり、掃除機をかけたりしているので、おじいちゃんの部屋は綺麗だ。

 たたみは日焼けしていたが、決して汚くはない。

 古めかしい文机には、辞書や、虫眼鏡や、老眼鏡が乗っている。ペン立てにはボールペンが三本立てられている。

 そして、障子をすかして明るい日差しが部屋に入り込んでおり、あたりはほのかに明るかった。

 障子をさあっと開けると、縁側が現れる。縁側のガラス戸を開けば庭が広がっている。このところ草むしりをさぼっていたので、雑草が生い茂っていた。

 雑巾を入れたバケツを縁側に置くと、思わず外の風景に見とれた。ここは懐かしい場所だった。家の中で一番好きな場所、一番思い出深い場所なのだ。

 この縁側から、サンダルを放り出して庭に出て、四人姉妹で転がりまわって遊んだ。

 時々、縁側に座り、足をぶらつかせながらオヤツを食べた。

 はしゃぎすぎて転んで泣いた時や、姉妹同士の他愛ない喧嘩で大声をあげた時や、色々なことがあった。

 そして、それをいつも、静かに優しく見つめている人がいた。

 この場所で。

 「おじいちゃん」

 ぼそっと呟いた時、きいこ、と、柔らかい音がした。

 ガラス戸を開けていたから、風が入ったのだろう。音は部屋の中から聞こえた。どこから聞こえたのだろう。何の音だろう。

 きい、こ。きい。

 また聞こえる。

 この音は、妙に懐かしい。聞き覚えがある音だ。そうだ、これはロッキングチェアの音だ。

 ママが、ロッキングチェアのことを言った時からーーきいこ、きいきいーーかちっと頭の中のパズルがはまった気がした。あの椅子どこにいったんだろうと、あんなに考えたくせに、どうしてそこに、それがあることを、今まで気づかなかったのだろう。こんなに簡単な場所に、ずっとあったというのに。

 まるで、分かりやすい場所にわざと隠れて、なかなか見つけることができないでいるわたしたちをニヤニヤ笑って見ているかくれんぼみたいに。

 おじいちゃんの部屋の片隅に、ひっそりと揺り椅子があった。一週間に一度、掃除に入っていたというのに。

 確かにその部分は掃除をさぼっていた。陰になっているところだし、そんなに気にしなかったのだ。

 

 ぼんやりと近づくと、そっとロッキングチェアの手すりに触れた。すると、軽やかに、ゆらっと椅子は揺れた。重厚な造りなのに、動きは軽かった。きいきい。優しく揺れる椅子からは、この上なく懐かしい匂いがした。

 おじいちゃんだ。

 おじいちゃんの匂いがする。

 わたしは、人差し指で椅子を押して、ゆらゆら揺れる様を眺めた。なんだか妙な気分だった。

 ママの突然の妊娠。ママの欲しいものは新しいロッキングチェア。赤ちゃんのために用意するロッキングチェア。

 赤ちゃんのために用意するものなんて山ほどあるだろうに、なんで、ロッキングチェアなんて思いついたのかな。ママは。

 そっと、座ってみた。椅子は大きくゆらりと後ろへ動き、それから優しく前に戻ってきた。ゆらり、ゆら。まるでゆりかごのような動きだった。

 そのまま、寝てしまいそうだった。

 掃除の途中なので寝るわけにはいかない。そう思いつつも眠気には逆らえず、僅かな時間、うたたねをしてしまった。

 その時、なんとも言えない夢を見た。


 「夢の国に行きたいわあ」

 と、幼いわたしは叫び、やたらめったら、体を揺らして椅子を動かした。

 きいきいきい。

 柔らかな音を立てて椅子は動く。

 温かな膝の上で、思う存分、好き放題にして過ごす。そこで座っていれば、いつも温かくて大きな掌があたまを撫でてくれたし、ゆかりは良い子だよ、と褒めてもらえた。

 「ね、夢の国に行けるよね。だってこれ、夢の国行きの列車だもん」

 きいきいきい。

 ロッキングチェアは揺れ続ける。

 どんどん走れ。そして夢の国に行くのだ。

 おじいちゃんの膝の上で、ロッキングチェアの手すりに体重をかけ、ぐらぐらと椅子を動かして遊んだ。

 「夢の国についたら、また揺り椅子にのって、もどってくるんだよね」

 わたしはおじいちゃんを見上げて問いかけた。

 

 おじいちゃんのロッキングチェアは、夢の国行きの乗り物。


 にたあ、と、おじいちゃんが笑う顔を見たような気がして、はっと目を覚ました。

 部屋はいつもの部屋であり、そこにおじいちゃんがいるわけもなく、夢の国でも何でもない、ただの現実がそこにあった。

 

 「この椅子は、もっと日当たりの良い場所の方がいいわよね。生前、おじいちゃんはひなたぼっこしながら揺られてたんだし」

 独り言を言いながら、ロッキングチェアを抱え上げた。見た目は重厚なのに、持ち上げてみたら意外に軽かった。障子をめいっぱい開き、やっとのことで大きなロッキングチェアを縁側に出すと、ぜいぜいはあはあと息を切らして床に膝をついた。

 ちゅん、ちゅちゅん。

 庭にはスズメがたくさん遊んでいた。草花の種があるのかもしれない。

 温かな風がさあっと入ってきた。すると、ロッキングチェアは微かに揺れたのだ。

 「夢の国から、また戻ってくるんだよ」

 

 おじいちゃんが背後に立っているような気がした。さすがにどきっとして振り向いたが、もちろんそこには誰もいなかった。

 

 「今日は煮魚にしようかなあ」

 ねえ、おじいちゃん。

 おじいちゃんの好きな食べ物を、夕食に作る。心なしか、ロッキングチェアが喜んでいるように見えた。

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