自力本願の癒し 序章: 思い出のホースロッキング

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カヴァース小説部

序章: 思い出のホースロッキング

 昔、わたしは籐でできた、ホースロッキングが大好きだった。

 それは籐でできた木馬だ。木に比べて軽やかなのに、とても丈夫で、ずいぶん長い間、わたしの部屋にあったと思う。

 

 そのホースロッキングは、おじいちゃんがお兄ちゃんに買ったもので、カザマというメーカーの製品だと聞いている。

 お兄ちゃんとわたしは年が離れていて、わたしが保育所の頃、既にもうお兄ちゃんは、ホースロッキングに乗って遊ぶような年齢ではなかった。だけどインテリアとしても良いし、思い出の品だからと、勉強部屋に置いてあった。

 そのホースロッキングを、わたしが気に入ってしまった。それに乗って遊びたいがために、テスト勉強をしているお兄ちゃんの部屋に入り浸る始末だった。

 「いいよ、じゃあ、ゆめにやるよ」

 ある日、ついにお兄ちゃんは観念した。

 わたしは大喜びで、籐のホースロッキングを自分の部屋にひきずってゆき、暇さえあればそれにまたがって遊んだ。

 ホースロッキングは安定した乗り心地で、馬の上でどんなにはしゃいでも平気なほどだった。ゆらゆらとちょうどよく揺れ、乗っているうちにいろいろと素敵なことを想像したものだ。

 例えば、わたしは男勝りの王女様で、今から馬に乗って化け物退治にゆくところ。

 乗っている馬は人間以上に賢いペガサスで、わたしを乗せてどこまでも飛んで行く。そう、星の海の中も、なんなく渡るのだ。

 「たくみの馬を取ってしまったなあ。そんなに好きなら、ゆめにも一つ買ってあげればよかった」

 あまりにもホースロッキングに固執するわたしを眺め、おじいちゃんは笑っていた。

 おじいちゃんは、わたしが女の子だからホースロッキングは選ばなかったそうだ。かわりにわたしがおじいちゃんから買ってもらったのは、同じカザマで作られたラウンドチェアだった。それは、ごくシンプルな見た目なのに、座り心地は素晴らしくて、王女様の玉座みたいだった。

 お母さんは、そのラウンドチェアにメルヘンチックなフリルひらひらのクッションを乗せてくれた。

 わたしはホースロッキングに乗る時は、男顔負けの強き女剣士となり、ラウンドチェアで休むときは、アラビアの王女様のようにゆったりと足を組み、椅子の中にちんまりと納まるのだった。

 

 思えば、おじいちゃんは籐が好きな人だった。

 あの頃、家の中にはたくさんの籐家具があったように思う。

 なんで、おじいちゃんは籐が好きだったのだろう。

 あれからずいぶん時間が経ってしまい、優しかったおじいちゃんはとっくに故人となった。

 お兄ちゃんは結婚もしないまま、身に着けた技術やら人脈を駆使し、ライターとして独立起業している。うちから車で十分の、安いアパートの一室が事務所で、ほぼそこで生活しているような状態だ。

 一方、わたしは無難に短大を卒業し、そのまま地元の町工場の事務になった。町工場といっても、規模は大きい方だ。社員の年齢層は高く、若年のわたしはかなり可愛がられていると思う。

 だけどこの頃、ちょっと、気持ちがふわふわと彷徨い始めている。

 会社が嫌いなわけじゃない。事務の仕事もーー小さい会社だから、経理やら、雑務やら、時にはCADを触らせられるとか、いろいろなことをさせられるのだがーーまあ、慣れてきたので、きつくはなかった。

 ただ、仕事が終わり、夕暮れの空を見上げる時、ふっと虚しくなる。

 一日が終わる。

 たぶん、同じように明日もあさっても、終わってゆく。

 

 わたしは一体、どうなってしまうのだろう。

 心の中では、あのホースロッキングが今でも揺れている。

 ハイヨー、ロシナンテ。

 三銃士になったつもりで夢中で遊んでいたあの頃、わたしは何にでもなれた。未来は無限大だった。

 一日、一日と時間が経つごとに、わたしの「可能性」はどんどん削られてゆくような気がした。

 

 (ああー、なんか不安定だなー)

 夕暮れを眺め、車に乗って帰路につきつつ、悩ましくため息をつく。

 疲れているのかな。ちょっと、有休をもらおうかな。どうせ、わたし一人が休んでも、仕事は回ってしまうんだよね。

 そのまま家に帰るのが、辛くなった。

 同じ毎日を送り、なんら変わらない家に戻り、地味な日常を過ごす。何かが起きれば良いのに、と、切実に思う。

 ある日、わたしは家にまっすぐ帰らなかった。

 町の商店街に行き、車を有料駐車場に停めて、ぶらぶらとなんとなく、賑やかなアーケード街を歩いた。

 都会的な音楽や、今を謳歌する楽し気な人たちとすれ違ううちに、なにか非現実的な気分になってきた。

 まるで、このアーケード街が不思議の国で、今から想像もつかない出来事が起きるような。

 「あれっ、斎藤さんじゃない」

 背後から声をかけられ、振り向いたら、そこに、色白で黒ずくめの、ちょっと変わった感じの男性が立っていた。

 黒一色の服を着ていたからだろうか、色とりどりの商店街の中で、その人は浮き上がって見えた。不思議の国から飛び出してきた魔法使いのようにも思われた。

 わたしは呆然とし、まじまじと彼を見つめたーー誰だこの人ーー相手はげらげらと笑いながら「忘れた。俺だよ、渡辺。ほら、高校で同じクラスだった」と、言った。

 あ。あー。

 わたしは馬鹿のように声をあげ、相手を指さしてしまった。

 渡辺君。渡辺ゆうき君か。

 あの時、この人は野球部で丸坊主だった。人間、年月がたつとこんなに見た目が変わってしまうのか。

 

 「俺さ、ここで店やってんの」

 と、渡辺君は言い、自分の背後を振り向いた。

 

 そこには「癒し堂わたなべ」という、なんだか時代劇に出てくる剣術道場みたいな看板がかかっていた。

 賑やかで楽し気な町の中で、その奇妙な店は、存在自体が幻のような、不思議な空気を漂わせていたのである。

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