バレエと秋田木工のチェア 終章: beautiful line

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カヴァース小説部

終章: beautiful line

「ああ、次の演目はまだ決まってないのよ。まあ時期的にそろそろ決まる頃だと思うけど」

「あら、そうなの。次こそは白鳥の湖だといいわね」

「ちょっとおばあちゃん、その話はやめてよ、」

雪絵が何かを制しようと、慌てて祖母の発言を遮る。豚汁に夢中だったエレナはその様子に気付き、珍しく感情をあらわにした雪絵に問いかける。

「あら、雪絵、どうしたの?おばあちゃんにそんなにムキになって。やっぱり本当は白鳥の湖が踊りたくてしょうがないの?」

「そ、そういうわけじゃっ、バレエの演目は全て等しく大好きで、どれも同じくらい踊りたいわよ、別に白鳥の湖だからってそんな、、」

顔を赤らめながら語気を強めてエレナの言葉を否定する。その様子がますます不自然で、普段の雪絵とは違った、か弱い一面が顔をのぞかせる。そんな雪絵の恥じらいに上塗りをするように、祖母がさらりと言葉を続けた。

「だって雪絵、あなた私に電話してくる度に、いつも半べそかきながら、白鳥の湖が踊りたい、おばあちゃんに私の白鳥を見せてあげたいって言うじゃない」

雪絵は顔を真っ赤にして絶句し、羞恥に苛まれる。その様子を見て、お酒のすすんだ家族とエレナは、どっと大きな笑い声をあげた。

「もう恥ずかしい、おばあちゃんったら何もみんなの前でそんな、、、」

本当は雪絵も白鳥の湖が踊りたくて仕方がなかった。それも端役や準主役ではなく、メインの主役である白鳥を踊りたかった。小さい頃にバレエスクールで踊って、祖父母や両親に褒められた白鳥の湖。幼いながらに家族に喜ばれて嬉しかったその体験が、雪絵のバレエの原点であり情熱の源だった。本場ロシアで白鳥の湖を踊り、それを家族に観てもらうのが雪絵の夢だった。

「ごめんごめん雪絵、思わず笑っちゃって、、でも白鳥の湖を踊りたいっていうのは何も恥ずかしいことじゃないわよ。それはバレエをやってる人間ならみんなそういう気持ちがあるもの」

「本当に?」

「本当よ、私だって踊りたいわよ、白鳥」

エレナの言葉に嘘はなく、偽りのない真っ直ぐな想いが雪絵にも伝わった。その正直で真摯な気持ちは、慌てふためいた雪絵の乱心を少し落ち着かせた。

「そう言ってもらえるなら、ちょっと安心したかな、、、」

「あっ、電話だ、ちょっとごめん、、」

ようやく雪絵の気持ちが落ち着いてほっとした途端、エレナは電話のためにそそくさと席を外してしまった。ひとまず気を取り直した雪絵は、ビールを飲んで料理をつまんだ。手の込んだ母の手料理。そのどれもが美味しくて懐かしくて、ロシアで一人暮らしを続けていた雪絵の心身に染みわたっていく。家族で囲む温かい食事。考えてみればこういう幸せを感じるのも久方ぶりのように思えた。大きなテーブルにたくさんのご馳走。そしてそれを包む賑やかな家族の笑い声。心がほぐれていく幸せを感じながら、雪絵は丸い木の背もたれにゆっくりと身を預ける。自分はやっぱりこの場所が好きなんだなと、改めて大事なことに気付かされた。

「ちょっと雪絵!大変だよ、大変!」

電話を終えたエレナが大きな声を上げながら走ってくる。

「どうしたのエレナ!?」

「次回の公演、白鳥の湖に決まったんだって!」

「本当!?」

その一報を受け、雪絵は思わずその場に立ち上がる。家族たちも喜びの声をあげ、わあわあと歓談を弾ませる。

「しかも配役も決まったみたいなの!」

「えっ、そうなの!?じゃあ私たちの役ももう決まってるの!?私は、私は何の役をやるの!?主役は誰がやるの!?」

配役まで決まってると聞き、気が動転してしまい矢継ぎ早に質問を繰り出す。

「主役はあなたよ、雪絵!あなたが白鳥の湖の主役をやるのよ!」

「私がっ!?」

思いがけない吉報に、雪絵の頭は真っ白になり、驚天動地の心境で目がぱちくりする。夢と現実の境目が音を立てて崩れ出し、足元がふわふわと浮き上がった。

「私が、白鳥の湖の主役をやるなんて、、夢みたい、、、」

「夢じゃないのよ雪絵、やったじゃない!ちなみに私はソリストであなたをサポートするから」

エレナは雪絵に抱き付き、喜びと感動をめいっぱいに表現する。雪絵はにわかには信じ難い出来事に、呆然自失となって空中に視線を漂わせている。そんな雪絵に、祖母が静かに手を差し伸べ、そっと手を握ってやる。

「よかったね雪絵、おめでとう」

「おばあちゃん、、、」

雪絵は感動のあまり涙声で返事もままならない。それでも何とか祖母の手を握り返し、涙を流しながら首を縦に振る。家族たちは歓声をあげ、雪絵の夢がかなったことを祝した。再度グラスを掲げ、盛大に祝福の言葉をかけながら乾杯をする。雪絵もエレナも喜びで胸がいっぱいになり、いつまでも涙が止まらなかった。


「みんな、今日も一日よろしくね」

白鳥の湖の公演初日。主役に抜擢された雪絵は、いつもと変わらぬルーティンで自分の肉体に語りかけていた。筋肉も骨も腱も関節も、今日の舞台で雪絵が最高の踊りを出来るように温まっている。しなやかで柔らかく、歪みのない流麗な線を描く美しい踊り。そんな雪絵のバレエは、これからも家族を喜ばせ、観客たちを喜ばせ続けていく。美しい曲線を描き、家族を喜ばせる思い出深いあの椅子のように。

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