ピクチャー 終章: あの夏の日のように

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カヴァース小説部

【連載】ピクチャー - カザマとの思い出

終章: あの夏の日のように

「清二さん、、」

「来てくれてよかった。どうしてもあなたにお礼を言いたかったんです、たくさんの人がこの絵を鑑賞しているこの場所で。自分で言うのも何ですが、とてもいい絵が描けました。あなたもそう思いませんか?」

清二は晴れやかな笑顔で、珠代が描かれた自分の作品を指さした。

「は、はい、とても素敵な絵です。私だけれど、私じゃない、とても綺麗で美しい女性が描かれた絵だと思います」

珠代は感じたことを素直に伝えた。

「何を言ってるんですか。これは紛れもなくあなたですよ。あなたはとても美しい。外見も内面も、とても美しいですよ。だからこれだけ良い作品が出来たんです。あなたのおかげなんですよ、この絵が描けたのは」

自分の美しさを真正面から褒められ、珠代は恥ずかしさのあまり顔を赤らめ俯いてしまう。

「そ、そんな、美しいだなんて、そんなこと、やめてください、、、」

珠代は照れながらもごもごと口ごもる。俯いた視線は恥じらいで前を向けず、所在を失くしてもじもじと絡ませた指先を見つめた。

「はっ、、そうじゃないわ、、そういえば、、」

ふと我に返った珠代は、大事なことを思い出し、顔を上げて清二を見つめた。

「どうして、どうして突然、モデルに来なくていいと言ったんですか?私、何かいけないことをしてしまったんでしょうか?それとも何か別の理由があったんでしょうか?一体、何があったんでしょうか?」

胸の奥にしまい込んでいた感情が堰を切ったように溢れ出し、矢継ぎ早に質問をぶつける。静かな美術館の中でその声は響き渡り、作品を鑑賞していた人たちがちらりと珠代のことを見た。公衆の面前で感情を晒してしまい、赤っ恥をかいてしまった珠代だが、それよりも今は清二の答えを聞く方が先決だった。

「そうですよね、、何も言わずにあんなことをしてしまって、大変申し訳なかったと思います。でも、あの時はああするしかなかったんです。どうかご理解ください」

「どうして、どうしてだったんですか?私のせいだったんですか?」

珠代は納得のいく答えがほしくて、人目もはばからずに清二に詰め寄った。清二は当惑した様子だったが、観念してありのままを話そうと心を開いた。

「あなたを好きになってしまったんです」

「え?、、、」

あまりに突然の告白に、珠代は思考が停止し、心も身体もぴたりと静止してしまった。好きになってしまった?その言葉の意味がうまく呑み込めず、清二の放った音声だけが頭の中で何度も響き渡る。

「もちろんあなたをモデルにお誘いした時から好きではあったんですが、あなたがモデルとして完璧で美しい状態になった瞬間、私はもう後戻りが出来ないくらいあなたのことを好きになってしまったんです」

「は、、、はあ、、、」

「そんな気持ちになってしまったら、もうあなたを前にして冷静に絵なんか描いていられまません、だからモデルをやめてもらったんです。ですので、モデルをやめてもらったのは私の一方的な感情のせいなんです」

清二は自分の気持ちを包み隠さず打ち明けた。その誠実な姿勢は、珠代の中で膨れ上がっていたある感情を、するりと表に引き出した。

「私もです、、、」

「え、、、?」

不意な珠代の言葉に、清二が戸惑い、言葉を詰まらせる。

「私も、あなたのことを好きになってしまったんです。あの瞬間に、いえ、もっと前、おそらく、絵のモデルを依頼されたあのときからずっと、、、」

「珠代さん、、、」

二人がそうして話していると、美術館にいる人が、作品を描いた清二とそのモデルらしき女性の存在に気が付いた。ひとりふたりと気付き始めると、瞬く間にその場にいる全員が二人のことに気付いてしまった。無性に恥ずかしくなった二人は、手を取り合い、その場から逃げ出すようにして外に向かって走り出した。


「そして二人は現在に至る、ってわけ?」

「まあ、そういうことね、うふふ」

「うふふ、じゃないわよおばあちゃん!何よそのドラマみたいな恋の話!めちゃくちゃロマンチックな話じゃない!今までそれを秘密にしてたなんて、それでも私のおばあちゃんなの!?」

あまりに素敵すぎる祖父母の恋エピソードに、孫娘の希美は感動を通り越して、のろけ話にすっかりあてられてしまった。希美は呆れてため息をつきながら、残っていた紅茶をぐいと飲み干した。

「それもこれも、この素敵なお店があったからかもね」

珠代は同席した店主に感謝の言葉を述べる。

「いえいえとんでもない、珠代さんが魅力的で、清二さんがそこに惚れ込んだからですよ」

店主は恐縮しながらも嬉しそうに言葉を返す。その顔には、長い時を経たからこそ感じる、人生の深い喜びがじんわりと滲み出ていた。

「そういえばおじいちゃんは、絵を描くためにわざわざこのお店と同じ籐椅子を買ったってことなの?」

珠代が絵のモデルをする時に用意されていた籐椅子。希美はその経緯が気になった。珠代はそのあたりの詳細を知らなかったので、代わりに詳しい事情を知る店主が答えた。

「はい、あれは清二さんが絵を描くため、ひいては珠代さんのためにわざわざお買い求めになったんです」

「そうなの?」

詳しい事情を知らなかった珠代は、新たな事実に驚かされる。

「それくらい清二さんは珠代さんに夢中だったということですね、ふふふふ」

店主は当時のことを思い出しながら、笑い声をあげて悦に入る。珠代は年甲斐もなく孫娘の前で恥らい、頬を染めて閉口してしまった。希美はさらにお腹いっぱいといった様子で、呆れ果ててどっかりと椅子にその身をもたれさせた。珠代は小さな声でぼそぼそと何かを呟いたが、それは何と言ったのか、希美にも店主にもうまく聞き取れなかった。ただ、珠代が昔を思い出しながら、座っている籐椅子の手すりを優しく撫でている様子だけは見てとれた。思い出を慈しむような柔らかなその仕草は、とても美しく魅力的だった。

紅茶サロンに流れる穏やかな午後のひと時。珠代はそっと目を閉じ、遠い記憶の彼方に想いを馳せた。深く椅子に身を預け、頭をからっぽにして、あの幸福な浮遊感に身を委ねてみる。絵のモデルとして椅子に座り、淡い光に包まれたあの夏の日のように。

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