新たなスタートライン 終章: 寄りかかるのではなくて

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カヴァース小説部

終章: 寄りかかるのではなくて

 「ねえー、お姉ちゃん最近さ、変わったよね」

 暇を持て余してやってきたユウが、唐突に言い出した。

 お土産のコンビニスイーツをつまみながら、じろじろ品定めするかのようにわたしを眺めている。

 

 「まさか彼が戻ってきた。いや、それはないか」

 ユウは頬杖を突き、穴が開くほどわたしを睨んだ。髪の毛からつま先までじっくり観察している。

 「あやしい」

 ユウは立ち上がると、動物のようにクンクンと鼻を使いだした。部屋のあちこちの匂いを嗅いでいる。

 「誰かいい人できたんじゃない。それならそうと早く言えば。おかあさんもおとうさんも心配してるんだからぁ」

 あっ、今、おとこの匂いがしたっ。

 ユウが下品なことを言うので、「やめて」と、姉らしく諫めた。内心、なんでこいつはこんなに勘が良いんだろう、と舌を巻いていたのだが。

 

 「なんか部屋の香りが変わったのよ。ほんとに何もないのぉ」

 ユウは怪しむように目を細めた。

 

 「前からいいなって思っていた香水、つけるようになったのよ」

 さらっと言っておいた。これは本当のことだ。先日から、サムライウーマンを愛用するようになった。サムライウーマンの香りが昔から好きで、この香りを纏って時を過ごせたら良いなあと思っていた。

 以前の恋人は、香水やコロンの香りを嫌っていたので着けることが叶わなかったのだ。

 でも、今ならば。

 「自分の考えたこと、自分の良いようにしてみようって思ったの」

 わたしは言った。

 誰かの考えを当てにするのではなく。

 誰かの好みを気にするのではなく。

 わたしは、わたしなのだから。

 「ヘエ」

 ユウは目を丸くして、残ったお菓子を口に放り込む。

 「そっか、そっか」

 そして、ユウはにいっと笑ったのだった。

 「お姉ちゃん、あの彼と別れて良かったんだ。たぶん今、そんなに悪くないでしょ」

 悪くないどころか、毎日が急上昇でときめき真っ最中よ。

 と、口を滑らさないように、微塵もそんな気配を出さないように細心の注意を払って、できるだけ落ち着いて、普段の自分の表情を装って、わたしは言った。

 「そうね。やっと自分の人生になった感じがしてるかな」


 あの日。

 河原の散歩中、河原田さんが必死で追いかけてきてくれた日。

 ラーメンが食べたいというわたしを車に乗せて、河原田さんは黙々と運転した。車の中は、河原田さんのにおいが染みついていた。というより、車の香水のにおいが、河原田さんのスーツに染みついているのかもしれない。

 もうじき、行きつけのラーメン店に到着する時に、河原田さんは言ったのだった。

 「同じで良かった」

 「えっ」

 問い返すわたしの方を見ることはせず、河原田さんは車を店のパーキングに乗り入れた。バッグでスペースに入れながら、ぼそりと彼は言った。

 「僕もラーメンが食べたかった。お互いに、無理に合わせたわけではない。けれど、同じ方向に向いている」

 

 どきんと胸が鳴った。

 愛の告白でも何でもないのに、なぜこんなに心が温かくなるのかと思う。

 彼もまた、それ以上しつこく語ることはなかった。

 

 ごく自然に、わたしたちは寄り添いあい、同じものを求めている。それは、相性というものかもしれない。

 どちらかがどちらかに寄りかかるのではなく。

 どちらも自分の足でしっかり立ちながら、ごく自然に寄り添っている。

 牛丼やラーメンで、人生を共にする相手を決めるなんて、馬鹿馬鹿しいと思う。

 絶対にそのうち、一方がカレーを食べたくて、もう一方がピザを食べたいという日が来るだろうから。

 

 だけど日に日に素敵な確信が強くなる。

 

 もし、カレーとピザに分かれたとして、二人はそれぞれ、自分の求めるものに向かって歩くけれど、そのうちまた合流するのだ。

 必ず、合流するのだ。

 あかの他人同士、全く違う命が並んで歩いて行く。

 仕事の合間、大好きな馬場家具のソファに腰を静めながら、そんなことを思う。

 大きな玉サボテンと、上質なソファが並んでまるで違和感がないように。

 わたしたちはきっと、良いパートナーになるのに違いなかった。

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