芯を通す 第1章: 「きちんとした」生き方

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カヴァース小説部

【連載】芯を通す - カヴァースの家具がもたらす整い

第1章: 「きちんとした」生き方

 わたしは永森ゆう。花の女子高生だ。一応、進学校に通っている。今からお母さんから、「国公立。できれば地元。っていうか、それ以外はうち厳しいから」と念押しされている。

 まあ、大学に行く前提の進学校なんだけど、わたしとしては、いまいちピンときていない。なんというか、将来のことが未だちゃんと浮かばないのだ。

 「学歴は無駄じゃないわよ。そのかわり、どんな仕事をしたいのか考えてから進学先を決めなさいよ」

 国公立。それから地元でね。

 お母さんはいちいち念押しをしてくる。

 「短大でもいいぞー」

 お父さんは、ゆったり構えている。きちきちしているお母さんより、おおらかなお父さんの話は受け入れやすい。そうか、短大もいいな。専門学校と言うテもあるかも。などと、気楽に考えることができる。

 ただ問題は、一体なにになりたいのやら、未だわたしの中で将来のことができあがっていないことだ。

 (簡単に決めちゃいけない。だって、悪いお手本があるんだし、あいつの二の舞にだけはなりたくない)

 けい兄ちゃん。

 お母さんも、多分お父さんだって、けい兄ちゃんに期待していたと思う。暢気な子だから、と半ば諦めたようなふりをしながらも、やっぱりけい兄ちゃんは一人息子だし、ぜひとも「きちんと」してほしかったんだろうな。

 わたしの進学費用をケチるのは、きっと、けい兄ちゃんの時に期待しすぎて山ほどお金をかけたからに違いない。

 お金をかけるべき相手を間違えたね、お母さん。

 などと、密かにわたしは思ってしまう。

 それにしても、将来のこと、どうしようかな。見事になにも思い浮かばない。けい兄ちゃんみたいにならないように、と、色々考えてしまう。文系より理系かなとか、理系に進んだとしても、今の日本経済の状態から考えて、必ずしも安全とは言えないなと深読みしてみたり、ぐるぐると自分の中で思考が回り続けていた。いっそ、専門学校に行って手に職をつけようかと思うけれど、それはそれで、どのジャンルが良いやらサッパリなのだった。

 で、結局、「それなりに」高校生活を送り、可もなく不可もない感じのテストの答案を貰う度にモヤモヤする。そして、そういう時はいつも、けい兄ちゃんのところを訪れてしまうのだった。

 ふやけたみたいなスエットを着て、猫背で、ふにゃふにゃした声のけい兄ちゃんと話をしていると、「ああー、こんなふうになっちゃいけないなあ」と改めて思うと同時に「わたしはきちんとしよう」と、活が入る。それで、いつも話をしに行っては「ありがとう元気になったよ」とけい兄ちゃんにお礼を言い、「よかったー、またおいでー」とふにゃふにゃ笑顔で見送られてアパートを後にするのだった。

 今日は学校で、古文の答案が返ってきた。古文は得意なので満点が当たり前なのだけど、今回に限って八割しか取れなかった。先生は「難しかったからなあ」と言っている。平均点がいつもより低かったらしい。だけどわたしは、クラスの中で満点の人が一人いたこと、それが自分じゃなかったことが不満で、モヤモヤしている。

 

 下校途中、コンビニでスイーツを買って、けい兄ちゃんのアパートに行ってみた。

 けい兄ちゃんは今日もふやっとした喋り方で「おー、よくきたねー」と迎えてくれた。

 今日は、古文のテストの愚痴の他に、お母さんの手配でアパートに届いた「カヴァースの良い家具」を見物しにきたのだ。まあ、まずは古文のほうからだ。

 渡したスイーツを見て、けい兄ちゃんは嬉しそうにした。そして、コーヒーを淹れるから座りなと勧めてくれた。キッチンに入ると、いきなり別世界だったので目を疑った。

 存在感のあるダイニングセットがある。

 なんか、キラキラとしたオーラが漂っているような気がするが、一体、これは。

 目をこすってしまった。

 ダイニングテーブルの背後には、お兄ちゃん愛用のカラーボックスを積み上げた食器棚がある。これは、まことにチープな食器棚だ。

 いつもと変わらないアパートのキッチンなのに、今日は、重厚な空気感と、ほうっと落ち着く安定感がある。

 「なにこれ。異次元」

 と、わたしは言った。

 「すごいだろ。これが、お母さんが手配した家具の一つだ」

 けい兄ちゃんが低い声で言った。

 おそるおそる座ってみると、木でできたダイニングセットの椅子は、まことに体にフィットした。ゆるいカーブは人が座ることを細かいところまで考えて作られているに違いない。間違いなくこれは、熟練の職人の手による品物だろう。

 すごく良い。こんな座り心地は初めてだった。

 「けい兄ちゃん」

 おそるおそる、わたしは言ってみた。コンビニのスイーツの袋を、その美しいダイニングテーブルに乗せながら。

 「兄ちゃんまさか、このダイニングで、カップラーメンとか、夜中の三時に食べてたりしないよね」

 ばさっ。

 けい兄ちゃんにあるまじき素早さで、コンビニの袋がテーブルから取り除かれた。すごいてきぱきした動き方で、けい兄ちゃんは皿を用意し、テーブルに置いた。コンビニのスイーツがパッケージから取り出され、「きちんと」皿にのせられている。手で取ろうとしたら、これまたすごい勢いで、さっとフォークが差し出された。

 「コーヒー淹れるから、待ってな」

 と、けい兄ちゃんは言った。

 軽い混乱を覚えながら、美しく盛り付けられたコンビニのマカロンを眺める。このテーブルを使うなら、それ相応のものを乗せなくてはならぬ。自然、ぴしっと背筋が伸びた。

 ごりごりと音がしてきて、たまげた。

 インスタントではなく、豆から挽いて、コーヒーを淹れてくれるつもりらしい。おかしい。こんなの、けい兄ちゃんじゃない。

 「カップラーメンなんか食べられるわけないだろう、ここで。失礼じゃないか、このテーブルにさあ」

 けい兄ちゃんは言った。

 「自分でもおかしいんだけど、ちゃんと炊飯器で白米炊いて、味噌汁作って、いただきますを言って、食べてるんだよ」

 うっそぉ。

 反射的に口から出てしまった。

 その間にけい兄ちゃんは、やかんでお湯を沸かし、「きちんと」コーヒーを淹れ、テーブルまで持ってきてくれた。自分の分のコーヒーも淹れている。わたしたちは素敵なテーブルで向かい合って座り、美味しいスイーツを味わい始めた。

 「これさ、老舗の家具メーカーが作った家具らしい」

 けい兄ちゃんは言った。

 こうして向かい合って座ってみると、けい兄ちゃんはいつもと様子が違った。ふやけた姿勢やら、ふやっとした喋り方は変わらないが、着ているものがスエットではない。

 なんとけい兄ちゃんは、青いチェックのカッターシャツに、小ぎれいなジーンズといった、彼にしてはキレイめの衣装で身を包んでいる。スエット姿じゃないけい兄ちゃんなんて、何か月ぶりに見ただろうか。唖然として、けい兄ちゃんを眺めた。

 「正直、俺もよく分からないけれど、このダイニングセットを使っていると、これを使うのにふさわしい服装だの、生活習慣だのが求められているような気がしてさ」

 いや、ダイニングセットはそんなことを求めたりはしないだろう。テーブルはテーブルだ。けい兄ちゃんの思い込みだ。

 けれど、確かにこのダイニングに座っていると、自然に気持ちが引き締まる。もちろん、ゆったりとくつろいでいるのだけど、地に足がついた感じがするというか、しゃきんと背筋が伸びるのだ。

 芯のある人間にするためにはどうすれば良いのかって、善福寺の住職さんに聞いてみたんだけどさ。まず、身の回りからきちんとしなさいって言われたよ。

 お母さんの言葉が蘇る。住職さんからアドバイスされたからって、高価な家具をけい兄ちゃんに買ってあげるなんて、正直、やりすぎだと思っていた。そんなお金があるなら、わたしの進学のことをもう少し考えてよと多少、恨めしく思っていた。

 だが、今、目の前にいるけい兄ちゃんは、立派なダイニングセットを背筋を伸ばして使っている。

 信じざるをえない。

 良い家具は、クラゲ男に芯を与えるパワーを秘めている。

 テーブルでマカロンを食べるけい兄ちゃんを眺めていると、どんどんけい兄ちゃんが「きちんと」した社会人に見えてきて、呆然とした。

 「ところでゆう、今日は何の話」

 けい兄ちゃんから水を向けられて、ようやく、古文のテストの愚痴を思いだした。

 そうだ。古文だよ。

 そして、クラスで唯一満点を取った奴というのが、あいつなんだ。

 山戸馨。

 すました顔して、するっと何でもこなしている。万事そつがない。

 山戸君のことは、けい兄ちゃんもよく知っている。なぜなら、山戸君は、うちのお寺さんの住職の息子だから。

 小学校の時から何でもできる人だけど、そのことについてお母さんは「お寺さんの長男だからねえ。あとを継がなくちゃいけないし、しっかりしている」と言っている。

 

 山戸君は、住職になる男。

 そして、古文満点の男。

 ぐちぐちとけい兄ちゃんに愚痴っているうちに、わたしは自分のもやもやの中身が分かってきた。

 古文満点の山戸君は、ぴしっと背筋が伸びていて、おまけに将来の見通しもちゃんとできているのだ。

 いいよなあ、山戸君は。

 (今回のテストで、仮にわたしが満点で、彼が80点だったとしても、彼の方がぴしっとしているのは変わらないんだよなあ)

 びしっとしている。

 道がついている。彼は将来に向かい、着々と歩いているのだ。

 どうしてわたしには、それができないんだろう。けい兄ちゃんは、目を細めてコーヒーを飲みながら、わたしの話を聞いてくれた。

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