芯を通す 第2章: 芯が通っていれば

  • URLをコピーしました!

カヴァース小説部

【連載】芯を通す - カヴァースの家具がもたらす整い

第2章: 芯が通っていれば

 クラスの友達から、掃除当番を変わって欲しいと拝まれる。彼氏とデートがあるそうだ。お願いお願いと頭を下げられたけれど、別にそんなに言わなくても代わってあげるのに。

 (ふーんだ、こちとら予定なんかないもんね)

 放課後、静かな教室に残り、適当にモップを使っていたら、がたがたと音がした。なんと、古文満点男で、将来住職になるであろう山戸君が、机をひとつずつ、丁寧に移動してくれているのだった。

 「俺も掃除当番だから」

 わたしのけげんな顔に気づいたのか、山戸君は言った。それから「あれ、なんで永森が掃除してんだよ」と付け加えた。わたしは肩をすくめてモップを両手で持ち上げて見せた。

 「さぼりかー」

 何かを悟ったらしく、山戸君はぼそっと呟いた。それからまた、黙々と机を移動し始める。モップを使うなら、机をきちんと後ろに移動させなくては、床が綺麗にならない。なるほど、全くその通り。流石、古文満点君は違う。

 「悪うござんしたね」

 わたしも一緒になって机を移動しながら、言った。

 「適当にモップで拭けばいいと思ってたよ」

 「きちんとしろよ」

 何気なさそうに山戸君は言った。特に意地悪な感じはなかったのに、まるで自分の人間性を指摘されたように思えてしまう。

 ぶすっとしたわたしに気づいたのか、山戸君は「なに」と聞いてきた。別になんでも。古文満点で、将来も「きちんと」決まっている人に、わたしのモヤモヤは分かんないでしょう。

 机を移動した後の床を、モップがけした。山戸君は黒板消しを窓から出して、ポンポンと叩いた。白い粉が煙のように風に散る。

 ファイト、ファイト。野球部が校庭をランニングしていた。その声が、静かな教室にやけに響いた。

 モップがけはすぐに終わった。山戸君は、また机を移動しはじめ、元の位置に戻し始めた。

 「山戸君とこのおとうさんから、いいアドバイスもらったみたいでさ」

 無言のまま仕事をするのも気疲れして、話題を振ってみる。

 「うちの駄目兄貴、アパートで暮らしてるけど、良い家具をあつらえてやったらさ、だらしないのが直ってきた感じだよ。さすが住職さんの言うことは違うねー」

 お陰様で、兄貴、良い感じだよ。そう付け加えたら、山戸君が手を止めてこちらを向いた。それから「いちいち棘があるなー」と、言った。

 「いや、棘つけてるつもりは」

 慌ててわたしは弁解しようとしたが、山戸君がむっとしているようなので、仕方なく「いや、古文満点凄いと思ってさ。ごめん」と、嫉妬していたことを正直に打ち明けたのだった。

 「いや、永森だって古文得意じゃん」

 山戸君はまた作業を続けた。そこには、テストでクラスでぶっちぎりの点数を取った得意な様子は全くなかった。

 「やっぱ、将来、住職になる関係で、古文とか国語的なことは強いの」

 住職になるにはどんな勉強が必要かなど知らないが、適当に喋ってみた。すると、山戸君は変な顔をした。

 「住職になんないよ俺は。何で永森まで勝手に決めんだよー」

 えっと聞き返してしまった。住職にならないだって?

 だって山戸君は、善福寺の跡取り息子で優秀で。

 唖然とするわたしを横目に、山戸君は黙々と机を運んでいる。仕方なく、わたしも作業を続けた。

 作業しながら山戸君は言った。

 「他にしたいことあるから」

 「へえ、何」

 

 一瞬間をおいてから、「保育士」と、短く山戸君は言った。最後の机を運んでしまってから、わたしは呆然と彼の横顔を眺めた。

 色白で細面の山戸君なら、優し気だし、子供に怖がられたりはしないだろう。わらわらと小さい子を自分の周囲に集めて絵本を読んでいる彼の姿を想像してしまった。

 「子供好きなんだね」

 わたしは言った。山戸君は照れもせず、うん、と答えた。淡々とした無表情だったので、彼の意志が強いことがよく伝わった。

 「まあ、色々しなくちゃいけないことはあるよ。給料があまりよくないのは分かってるし、最初はうちから通うことになるだろうなあ。そのためには自家用車が必要だし、高校在学中に免許を取っておきたい」

 と、山戸君は言った。

 喋っている間も背筋をぴんとして、詰襟もぴしっと着こなしていて、彼なら保育士だろうが、医者だろうが、なにになっても大丈夫だろうと思われた。

 「すごいなー」

 わたしは素直に言った。「将来のことよく考えているよね。でもさ、寺の子なら住職になるのが普通じゃないの」

 「いや、そういう考え方に拘らなくてもいいんじゃないの」

 山戸君は、早くも帰る支度をしながら言った。

 「例えば、ここ進学校だけど、別に大学に行かなくてもいいわけじゃん。自分がしたい道に進んでいいと思う。自分さえきちんとしてればいい話だからさ」

 「きちんと」か。

 

 それじゃあ、また。山戸君はさっと帰って行ってしまった。彼なりに予定があるのだろう。

 モップを片付けながら、わたしは思った。

 山戸君の「きちんと」は、「芯を通す」ということだ。自分の芯さえ通っていれば、何をしても大丈夫、ちゃんとやれるということだ。

 (ほんと、凄いなあ)

 わたしもまた帰る支度をしながら、つくづくと思った。

 どうして山戸君は、こんなに芯が通っているんだろう。他のクラスメイトは、彼みたいに将来のことを考えているのだろうか。少なくともわたしは、できていない。


 だらしない人間をびしっとさせたければ、生活の環境から整えよ。

 お寺さん、すなわち山戸君のお父さんが、そう言ったという。お母さんはその言葉を実行し、お兄ちゃんにきちんとしたダイニングセットを買って送った。そうしたら、お兄ちゃんはカップラーメンではなく、自炊するようになった。服装までちゃんとしはじめたではないか。

 山戸君のうち、どんな家具を使っているんだろう。

 ぼんやり想像した。

 お寺さんだから、そりゃ、しっかりした家具が揃っていそうだけど。

 きっと、山戸君は背筋を伸ばし、質の良い椅子に座り、良いダイニングセットで、毎日、朝ご飯を頂いている。多分、手を合わせて「いただきます」「ごちそうさま」と言うんだろう。

 芯が通った人は、どんな生活環境で過ごしているんだろうか。

 山戸君が、安くてガタガタした格好だけの机で勉強している姿は、想像できなかった。

この記事のタグ

  • URLをコピーしました!