ここから始める、これから始まる 終章: 進んでいく

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カヴァース小説部

終章: 進んでいく

 お姉ちゃんも、事務所のオーナーになったんだから、ちょっとは化粧品にも拘ってね。

 遅くなったけれど、お祝いを送ります。

 シャネルです。「わたしは女優」とか呪文を唱えながら使ったら、良いことがあるかもしれません。

 みふゆ


 妊娠初期なので、みふゆはこの頃、ゆっくり、ゆっくりしている。

 もともと外にはあまり出ないタイプだったけれど、この頃は滅多に車にも乗らないようだ。

 お祝いの贈り物だと言って届けられたのは、ほんの小さな小包だった。手に持って事務所かアパートまでくれば済むものを、わざわざ宅配便で届けるなんて。

 アパートに戻ったら、不在通知があった。

 めんどくさいな、と思いながら再配達をお願いし、やっと今、それを入手した。

 みふゆが送ってきたのは、香水と口紅だった。どちらもシャネルであり、手に取った瞬間「ぎゃっ」と変な声が出た。

 シャネルの香水か。おお、これが!

 思えば香水なんて、大学の時に色気づいて買ったベビードール以来だ。わくわくしながら香りを嗅いだら、女優さんのイメージが湧きあがった。これをシュッとして、家を出る。そうしたら、マイカーの軽四も、映画に出てくる素敵な車みたいに感じられるかもしれない。腰をくねらせながら歩いちゃうかもしれない。

 まあ、大人はそんなことしませんけれどね。

 自分で自分に突っ込んで苦笑した。

 あきも良い香りさせていたなあ、と、何となく思い出す。あきが使っている香水が何なのかは知らない。あきらしい、穏やかでつつましい香りだと思う。

 側にいくと、ふわっと香る香水は、その人の象徴となる。

 わたしの象徴は、シャネルになるのだろうか。

 

 香水の瓶を手の中で転がしていたら、ラインが来た。あきからだった。

 「もう遅いけど、赤木さんの結婚祝いを考えよう」

 と、いう文面が目に飛び込んできた。

 結婚の二文字が目に痛いお年頃なのだ。ちょっと天井を見て、気を静めた。

 そうなのだ。

 行政書士事務所のイケメン、赤木さんはこの度、とてもきれいなお嬢さんと結婚された。

 今まで赤木さんに言い寄ってきた女性は一人や二人ではないはずだ。けれど、赤木さんはなかなか靡かなかったらしい。

 先日、その綺麗な奥様と事務所に来て、挨拶をしてゆかれた。美男美女のカップルは眩しくて、わたしもあきも、目をチカチカと瞬きさせてしまった。

 「いやー、油断してたねー」

 「油断もなにも、最初から勝負にならんかったってー」

 二人してお菓子をやけ食いしながら、言い合ったものだ。

 赤木さんはあの時、思わせぶりな感じで「自分に自信が持てるような相手を選びたい」と言った。何のことだろうと思っていたら、実はあの時、結婚話が進んでいたのだろう。

 (自分に自信が持てるような相手や、ものか)

 ちょっとぼんやりしてしまったが、すぐに気を取り直した。なんの、男は星の数ほどいる。あきもわたしも、まだまだこれからだ。

 そしてわたしは、赤木さんの結婚祝いについて、あきと相談を始めたのである。


 自信は、人生を明るくするはずだ。

 そう信じて、わたしはルージュを引く。良い色、良い艶。自然、笑みが零れる。

 今日も仕事が忙しい。納期が近いものがいくつもあるのだ。

 ゆっくり、じっくりのあきと、どんどん前に進むわたしの二人三脚で、肩を並べて歩いて行く。

 わたしたちには、間違いなく、価値がある。

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