ゆたかな選択 序章: 旧友からの贈り物
【連載】ゆたかな選択 - 人生を共に過ごす家具、カヴァース -
- 【第1回】 ゆたかな選択 序章: 旧友からの贈り物 ←今回はココ
- 【第2回】 ゆたかな選択 第1章: 簡単ではない道
- 【第3回】 ゆたかな選択 第2章: 豊かになる選択
- 【第4回】 ゆたかな選択 第3章: 良き人生に豊かさを添えて
- 【第5回】 ゆたかな選択 終章: 幸せの音色
序章: 旧友からの贈り物
小池ゆかから退職願を受け取ったその日、一杯飲みたい気分を堪えて帰宅すると、妻のかのこが奇妙な顔つきをして迎えてくれた。
妊娠5か月目、そろそろお腹が目立っている。まだマタニティウェアに袖を通してはいないが、ボトムのサイズが今までのものでは辛そうだ。
ただいま、と言ったが、おかえりという言葉は返ってこなかった。かわりにかのこは「桂さんって誰」と言ってきた。
桂。
すぐにはピンと来なかった。
一体何のことかと思ったら、かのこはリビングに運び込まれた大きな荷物を指さした。でっかい段ボールだ。よく使うAmazonや楽天のものではない。それにしたって、俺は最近、ショッピングなどはしていない。ましてや、こんなでかいモノは。
「知らない人なの」
と、妻はおっかなびっくりした様子で言った。
「知らない人からなのに、なんで受け取ったんだよ」
と、俺は呆れながら、段ボールに貼り付けられた送り状を確かめた。なるほど、あて名はうちになっている。俺宛てだ。カヴァースというロゴがある。そして、差出人は。
桂総司。
その字面をしばらく見ているうちに、もやもやと面影が浮かんできた。
高校のクラス。一人、無言でものを読んでいる男。前髪が長くて表情が見えず、クラスメイトからも変わり者扱いされていたように覚えている。
桂。そういう名前だった、あいつは。
「いや、知ってる奴」
俺は送り状を見ながら言った。妻が「そうなんだー」と、ちょっと安心したように言った。
桂とは、高校卒業以来、何回かしか連絡を取り合ったことがない。あいつは同窓会には顔を出したりしないし、誰も奴の近況など知らない。県内でも有数の進学校であるうちの高校で、大学受験をしなかったのは、同級生のうちで桂くらいだ。今、桂君どうしてるの、と、ちらっと話題に出たりもするが、それはいつでも、ちょっとしたネタを求めてのことだ。どうせ桂のことだから、とか、言わんこっちゃないのに、とか、そういう結論に持っていきたいがための、探りなのだ。最も残念なことに、誰も肝心なことを知らないので、そのうち皆、桂のことを知りたがるのを諦めた。
そうだ、俺ですらーー桂が同級生の中で、唯一、多少なり心を許してくれていた俺ですらーーよく、知らなかった。桂が今、どんなふうに生きているのかを。
「最後にメールしたのは、5年前だったかな」
と、俺は言った。
えっ、そうなの、それってわたしたちが結婚した年じゃない。かのこは呆れたようだった。そして、そんな桂が今になって、一体何を送ってきたのだか、知りたそうにした。
段ボールの封を切る前に、まず、それが何なのか知りたかった。
品名には「ラウンドチェア」とある。
ラウンドチェアって、あれか。あの、ゆったり座る感じの、くつろげるような椅子のことか。
ラウンドチェアだってさ、と俺が言ったら、かのこがいきなり喜びだして「欲しかったのよ」と手を合わせた。なんだ、欲しかったのか。それなら、買ってやったのに。
「言えなかったのよ。だって、もし欲しいって言ったら、量販店の椅子を見繕っちゃうでしょう。それじゃ嫌だったのよ」
かのこは言った。
「わたしねえ、おおきなお腹でゆったり座りながら、そこで編み物したり、育児の本を読めたりするような、そんな椅子が欲しかった。子供が生まれて動くようになったら、きっとその椅子は遊びの舞台になるでしょう。わたしも、子供が遊ぶのを、椅子に座って見守ることができる」
そんな大事な椅子は、やっぱり、とても良いものを選びたかった。
でも、経済的なことを考えちゃうから、なかなか口に出せなかったの。
かのこがあんまり嬉しそうに言うので、俺はちょっとモヤモヤとした。悪かったな、安月給で、と、思わず、ささくれた気分になったのは、やはり、今日の一件のせいかもしれない。
小池ゆかからの、退職願ーーわたし、やはり夢を諦められないみたいですーー一瞬、俺の表情がきつくなったのかもしれない、かのこの顔が不安そうになった。俺は無理に笑った。
「ね、開いてみてよ。そして、桂さんのこと、話して」
かのこは言った。