ゆたかな選択 第3章: 良き人生に豊かさを添えて

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カヴァース小説部

【連載】ゆたかな選択 - 人生を共に過ごす家具、カヴァース -

第3章: 良き人生に豊かさを添えて

 小池ゆかの退職が正式に発表された。

 さすがに小池ゆかは泣きそうな顔をしたが「最後までがんばります」と力強く宣言し、ガッツポーズまで作って見せたので、場は和やかになった。

 

 営業編集部の女性たちが中心になり、記念品を買うためのお金を集め始めた。

 「小池さん、頑張ってくれていたから~」

 「ほんと、さみしくなるねえ」

 みんな、口々に小池ゆかの退職を惜しんだ。

 「俺も出すよ」

 そう言い、俺も財布からカンパを出した。

 小池ゆかの門出を祝ってやらねばならない。部下に辞められるのは痛手だし、退職願を出された時は衝撃だったが、夢を追いたいと言い、あえて大変な道を選ぼうとする彼女の背中を温かく押してやりたいと思う。

 「わーこんなに出してくれるんですかっ」

 「さっすが課長、オトコマエ」

 

 女性社員たちはきゃーっと騒いだ。まあ、確かに俺も多少は奮発したが。

 

 時間の過ぎるのは早い。

 小池ゆかが退職するまで、もうすぐになった。

 そんな時、営業部の女性たちが俺をぐるりと取り囲んだので、俺は一瞬、身構えたーーなんだ、俺、なんかしただろうかーーしかし、彼女たちは別に俺に文句を言いに来たわけではなかった。

 「これだけ集まったんです」

 と、彼女たちは金額を俺に提示した。

 小池ゆかの退職の記念品のお金だろう。それにしても集まったものだ。やはり頑張ってきた彼女だから、皆、奮発する気にもなったのだろう。

 「問題は、なにを送るかなんですけれどっ」

 じとーっ。

 女性たちの目が怖い。ああ、やっぱり俺、なんかしただろうか。

 昔から俺は、女性の目が苦手だ。考えていることを、さっさと言えばいいのにと思う。かのこもそうだが、「何を考えているのか分かるでしょう」とでも言いたげな目つき、勘弁してくれと俺は思う。

 「課長が決めてください」

 彼女たちは声を揃えて言った。

 はあ?

 俺は一瞬、何を言われているんだろうかと首をひねった。

 俺が、小池さんへの記念品を、決める。

 この金額に見合う品物を選んで、決める。

 「ウーン」

 俺は唸った。

 「女性への贈り物は苦手で」

 「じゃあ、家具とかでお願いしていいですか」

 彼女たちは、やっとヒントをくれた。

 「小池さん、引っ越すらしいですし。新居で長く使えるような、素敵な家具を。そうだなあ、ゆっくりくつろげる、チェアとか」

 (あらかた決まってるんじゃないか)

 内心、俺はつっこみたい気持ちでいっぱいだったが、なるべくそれを顔に出さないようにして「椅子ね、チェアね」と軽く返事をした。

 良い椅子ですよ、長く使えるような。

 そう念押しされた。はいはい分かりましたよ、と、俺は呟いた。

 小池ゆかへの贈り物がチェアなのは分かったが、少し吟味しなくては。彼女のイメージに合うようなものを選ばねばならない。

 どこで頼むかは、もう決まっていた。

 カヴァースのサイトを見てみよう。俺は思った。


 桂の人生。

 俺の人生。

 

 一服したくて屋上に出た。

 うすく雲がかかる空は爽やかだ。思い切り息を吸い込んで、ゆっくりと吐いた。

 人生を考えたくなったらーー俺も、そういうトシになったんだなあと思うがーー電話が休みなく鳴ったり、かたかたパソコンのキーボードを打つ音が響いているような場所から少し離れ、一人になるのが良い。

 ほんの五分の時間で十分だ。

 缶コーヒーのタブを開いた。

 ぷしゅ。

 桂が作家として成功したことを、心から嬉しく思えている自分が誇らしかった。

 それは、心の底で僅かでも桂を妬んでいる部分があったからかもしれない。

 だが俺は、やはり、桂が苦労を重ねた結果、信じた道を良い風に進むことができていることが、嬉しかった。

 俺は桂と違い、あの当時のクラスメイトと多少は交流がある。だけど、敢えて桂のことは言わないでおこうと思う。

 桂がたとえ成功しているとしても、連中が純粋に喜んでくれるかどうか怪しいからだ。

 俺は俺で、桂の成功を祝うし、ますます良い本を出してくれればよいと思っていれば良い。

 桂もきっと、自分がえらくなったことを、同級生たちに誇示したいとは思っていない。

 あの、高校時代。

 俺は軽音楽部に所属していた。軽音楽部は廃部寸前で、誰も顧みないような部活だった。けれど、俺は自分のギターを部室に持っていたし、昼休みや放課後は屋上で弾いたりしていた。

 

 「アンプ、つければいいのに」

 ふいに声をかけられて振り向いたら、そこにはヤキソバパンを食べている桂がいたっけ。

 まさか聴かれているとは思わなかった俺は、本当にびっくりして飛び上がっていた。

 「アンプ、あるんだろ。つけろよ」

 桂は繰り返し言い、にやっと笑った。

 俺はどうして、アンプを付けなかったんだろう。

 もし、堂々とアンプを付けて、学校中に聞こえるような音を出すことができていたら、俺もまた、レールから外れた人生を送ることになっていたのだろうか。

 自分で、一もく一もく丹念に編んでゆくような、完全オーダーメイドの人生を。

 では今、俺は、自分の人生をどう思っている。

 ギタリストになりたいと?

 かのこと結婚したことを後悔しているのか?

 否。

 空は気持ちよく広かった。

 どこにでも行けるようだけど、人生は案外、短いものだ。

 俺は俺で、自分が良いと思う道を選び、突き進んできた。これからもそうするだろう。

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