ゆたかな選択 終章: 幸せの音色

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カヴァース小説部

【連載】ゆたかな選択 - 人生を共に過ごす家具、カヴァース -

終章: 幸せの音色

 「ねえー、ほんとに行っちゃうのぉ」

 「戻ってきてもいいんだよ、いつでも待ってるからぁ」

 仕事納めの日、小池ゆかを囲む女性社員たちは、いつまでも騒いでいた。輪の中心で花束を抱え、涙ぐみながら、小池ゆかは笑っていた。

 もう荷造りは終わっており、新居に運び込むだけになっているという。

 明日にはもう、この町を去るのだ。

 (行動力は抜群だよな)

 編集営業としての彼女の動き方を知っている俺もまた、彼女が辞めることを未だに惜しんでいる。

 本当に、もったいない。ここにいれば、まもなくチーフになり、係長になる。彼女ならどんどん出世するだろうに。まあ、俺の地位が危ぶまれるんだけど。

 「ありがとうございます。本当に嬉しいです。がんばります」

 と、小池ゆかは何度もお辞儀をした。

 そして、俺の姿を見ると、ゆっくりと近づいてきて「ありがとうございます」とお辞儀をした。何のことかと思ったら、どうやらカヴァースから荷物が昨日、届いたらしかった。

 「新居に送れば良いんだろうけれど、住所知らないから」

 俺は言い訳をした。

 小池ゆかは嬉しそうに、「課長が選んでくださったって聞きました。ありがとうございました」と言った。

 俺が彼女への記念品として選んだのは、ハンギングチェアだった。

 自由に飛び回り、全力疾走で駆け抜ける彼女。うちに帰ればひとときの休憩が欲しいだろう。ハンギングチェアに揺られて休めば、きっとリラックスできるに違いない。

 なによりお洒落じゃないか?

 ハンギングチェア、俺も欲しいくらいだ。

 「ねえねえ、言っちゃいなよ最後だもん」

 と、女性社員らが小池の背中を押した。小池ゆかは真っ赤になったが、意を決したように俺を見上げ「課長みたいな人と結婚したいなって思ってました。いつか課長っぽい人と出会えればいいなって思ってます」と言った。

 

 いや、それは反則だろう。

 俺は返答に困ったが、やっとのことで「ありがとう」とだけ答えておいた。

 小池ゆかは赤い顔でにこーっと笑い、逃げるように走って廊下に出て行ってしまった。その後を、わーっと騒ぎながら女性社員たちが追いかけていく。

 

 仕事しろよ、と思いつつ、まあ今日は仕方がないか、と見逃してしまう俺。

 こんなに甘いから、なかなか課長の先に進めないのだろうか。

 (ああー、俺もハンギングチェアが欲しい)

 カヴァースのサイトの商品は、どれも、何というか、夢がある。

 その家具を家においた時の風景、そこから始まる人生の物語が、どんどん膨らんでゆくような気がするのだ。

 こんな家具を使う人生は、さぞ豊かだろう。

 いつか俺は、自分のハンギングチェアをここで買おうと思っている。


 その日うちに帰ると、かのこが顔をつやつやさせ、物凄く嬉しそうにしていた。

 先月よりはっきり目立ってきたおなかをなで、にこにことしている。

 「パパでちゅよー」とか何とか話しかけている。

 「ただいま」

 俺が言うと、かのこは「あのね、今日、なにがあったと思う」と、いきなり謎をかけてきた。

 「胎動があったのよ」

 かのこは言った。

 おなかの子供が、初めて蹴った。

 

ここにいる。

 確かにここに、新しい命が、俺たちの子供がいるのだ。

 あの、ラウンドチェアに座りながら、初めての胎動をかのこは感じた。

 ぽこん。

 俺はそっとかのこのおなかに触れた。手では分からないので、ひざまずいて耳を当ててみた。

 息子か娘か。どちらでも構わない。

 (どんな人生を送るんだ、おまえ)

 満足な道を選び、豊かな時間を過ごして欲しいと俺は思った。

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