ハートキャッチャー 第1章: あなたを支える
【連載】ハートキャッチャー - 安らげる場所、フランスベッド
- 【第1回】 ハートキャッチャー 序章: 確かな幸せ
- 【第2回】 ハートキャッチャー 第1章: あなたを支える ←今回はココ
- 【第3回】 ハートキャッチャー 第2章: 眠りへの誘い
- 【第4回】 ハートキャッチャー 第3章: 安らげる存在に
- 【第5回】 ハートキャッチャー 第4章: あなたのおかげで
- 【第6回】 ハートキャッチャー 終章: 優しい感触
第1章: あなたを支える
「僕が買ったあのクッキーが役に立ったの?」
「ええ、あなたが買ってくれた動物クッキーがね。詳しいことは言えないけれど、あれで相談しに来た人の気持ちがちょっと楽になったのよ」
理紗子と郁男はベッドで就寝するとき、毎晩かならず言葉を交わし合う。それは日常のささいな報告であったり、今日の出来事などを語り合うちょっとした雑談だ。理紗子の仕事は守秘義務があるので、カウンセリングの内容は夫である郁男にも一切語ることはない。ただ今日は、郁男が買ってくれたクッキーで場が和んだという部分だけでも、エピソードとして共有しておきたかった。ベッドの中で横になりながら、理紗子は嬉しそうに隣で横になっている郁男に話をした。
「理紗子は本当にすごいね、そうやってたくさんの人の気持ちに寄り添って、話を聞いたりアドバイスをしたり」
「別にすごいことなんてないわ、私は単純にこの仕事が好きなのよ。いろんな人の悩みを聞いて、その人の心情に寄り添うことが」
「優しいんだね、理紗子は」
「そうかなあ、私は自分で優しいとは思わないけれど、でも面白いのよ、人の心を受け止めてあげるって」
「心を受け止める?」
「そう、人ってやっぱり、悩みの渦中にいると、どうしても周りが見えなくなって冷静ではいられなくて、一種のパニック状態に陥っちゃうじゃない?」
「うん」
「でも、不思議なのが、私が悩める人の気持ちに寄り添って、その場で苦しんでいる感情を真に理解してあげると、私自身がその人の気持ちを映す鏡みたいになっていくのよ。そうすると、その人が抱えている悩みっていうのが、私を通じて、その人の目の前にぽんって現れるような感じになるの」
「現れる、、」
「そう。そうするとカウンセリングを受けに来た人は、そこで初めて自分の悩みを客観的に感じ取ることが出来るのよ。そして少しずつだけど、冷静な感覚を取り戻し始めるの。そんな風に心を受け止めてあげることで、人の気持ちがやわらいでくれるのが嬉しくて。だから私はこの仕事が好きなのよ」
理紗子はベッドの中で目を輝かせながら自分の仕事について語った。
「ただひとつ寂しいなと思うのは、みんな悩みが解決して健全な状態に戻ると、私のところには来てくれなくなることかな」
「ああ、たしかにね。病気が治ったあとに医者に行く人はいないから、悩みが解決した後にカウンセリングを受けに来る人もいないか」
「そうなの。だから悩みを乗り越えた人たちがその後どうなったのか気になる時があるんだけど、そういう話を改めて聞けることがないから、そこだけはちょっと寂しいかな」
理紗子は少しだけ瞳を伏せると、ベッドの上で仰向けになりながら、ぼんやりと天井を眺めた。ふわりとして曖昧なその視線は、天井を視界に捉えながらも、気持ちをどこか遠い場所へ運ばせていた。
「でも、そうやっていつも心を支えているって、まるで僕みたいだね」
「え?どういうこと?」
戸惑う理紗子をよそに、得意気に郁男が語り出す。
「専業主夫として理紗子を支える僕みたいだねって言ったのさ、カウンセラーとして悩める人と向き合う理紗子の姿がさ」
自信満々で言葉を放った郁男だったが、残念ながら理紗子にはその気持ちはまるで届いていない様子だった。まるで放り投げたブーメランが空を切ったまま遠くへ飛び去ったみたいに、手応えの無い空気感が一瞬漂う。
「あら、そうかしら?あなたよりこのベッドのほうが、何倍も優しく私のことを受け止めて包み込んでくれていると思うけど」
そう言って理紗子は上質なコイルが編み込まれたフランスベッドのマッドレスをぽんと叩いた。
「そんなあ、たしかにベッドもそうだけど、僕だって料理や掃除なんか一生懸命やってるのに、厳しいなあ理紗子は、、」
郁男は一本取られたといった顔で笑うと、悔しさを滲ませるようにぽりぽりと頭を掻いた。
「ふふ、もちろん感謝してるわよ。三十代のあいだ仕事に集中できたのはあなたのお陰なんだもの。そして来月で私も四十歳になるし、これからもまだまだ働きたい。だから、これからもどうぞよろしくお願いします」
理紗子がベッドの中で横向きになると、郁男に向かって丁寧に頭を下げた。その可愛らしい仕草は郁男の胸をキュンと締め付けた。結婚して十年経つが、何年たっても色褪せないときめきに、改めて幸せを感じる。それと同時に、誕生日のサプライズプレゼントが喜んでもらえるといいな、と郁男は胸の奥を静かに高鳴らせた。