ハートキャッチャー 終章: 優しい感触

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カヴァース小説部

終章: 優しい感触

「へー、今日はカウンセリングを受けに来たんじゃなくて、良くなった報告をしにきた人が二人もいたんだ」

「そうなの、そんなことって今までなかったから、本当に嬉しかったわ。誕生日だから良いことが起きたのかもね、うふふ」

就寝前のベッドの語らいで、理紗子は嬉しそうに今日の出来事を話した。心から嬉しそうなその様子を見て、郁男の顔にも思わず笑顔がこぼれた。フランスベッドもその喜びを共有するかのように、二人の心と身体を丁寧に受け止めている。嬉しさが止まらない理紗子は、ベッドの中でにやにやしながら子供のようにごろごろと寝返りをうった。

「こらこら、いくら広くて丈夫なベッドだからって、そんな風に動くなよ理紗子、もう、ははは」

大人二人がはしゃいでも、質の確かなフランスベッドのコイルは、揺らぐことなく衝撃を吸収し、適切な反発力で二人を受け止めた。

「それはそうと、理紗子、今年はどうして誕生日プレゼントが無いんだろうって思ってるんじゃないか?」

「ええ、まあ思ってはいたけど、、あるの!?」

「もちろんだよ、一番のお楽しみだから、最後の最後にとっておいたのさ」

「やだ、嬉しい!何なの?」

理紗子は興奮して思わずベッドから起き上がる。

「そんなに慌てるなよ、まあまあ落ち着いて、ベッドに横になって、俺が今から読み上げるから」

「読み上げる、、?」

勇んだ心をなだめられると、理紗子は気を静めるようにベッドに横になった。読み上げるとは一体どういう事なんだろう?という疑問が、四十歳になったばかりの理紗子の思考をぐるぐると駆け巡る。読み上げる?理紗子は何がなんだか分からぬまま、布団をかぶり天井を見上げた。郁男はベッドサイドの棚から何かを取り出すと、おもむろに声を上げはじめた。

「先生、その節は大変お世話になりました。先生のおかげで私は元気を取り戻し、今では新しい職場で楽しく仕事をしております。理紗子先生、本当にありがとうございました。そして誕生日おめでとうございます」

「え?え?、、、どういうこと?」

郁男から唐突に感謝の言葉が綴られたメッセージを読み上げられ、理紗子は訳が分からず困惑してしまう。

「まだまだあるよ、えーと、先生ご無沙汰しております。あの時は人生が真っ暗闇で不安な日々を送っていた私ですが、先生にカウンセリングをしてもらって本来の自分を少しずつ取り戻すことが出来ました。丁寧に根気強く私の気持ちに寄り添っていただき、ありがとうございました。誕生日おめでとうございます」

郁男の手には沢山のメッセージが書かれた紙があり、ベッドの上でそれを次々と理紗子に読んで聞かせた。

「え、ちょっと、これはどういう事なの?どうして私が今までカウンセリングしてきた人のメッセージが、、、」

「僕がSNSで呼びかけてメッセージを募ったんだ。理紗子に世話になった人、誰か匿名で構わないから誕生日のお祝いの言葉をいただけませんか?って。そうしたら思いのほか沢山の人からメッセージが集まって、まとめて印刷するだけでも大変なくらいになったんだよ」

「そんな、、みんながそんな事してくれてたなんて、、、」

感動して思わず理紗子の目頭が熱くなる。こんな風に感謝の言葉がもらえるなど、夢にも思っていなかったので、胸の奥がじんじんと熱くなってくる。そんな感動している理紗子に対して、郁男は次々と感謝とお祝いのメッセージを読み上げていった。

悲しみを乗り越えた人、苦しみを乗り越えた人、孤独を乗り越えた人。そこには理紗子に救われた様々な人の想いが込められていた。数多く寄せられた理紗子へのメッセージ。長年カウンセラーとして多くの人の心を受け止めてきたことが、こんなにもみんなの心を支えていた。

その事実に気付かされると、理紗子は感極まり、ついには大粒の涙を流しはじめた。そんな風に理紗子が涙を流しても、郁男が読み上げる感謝のメッセージはまだまだ沢山あり、一向に読み終わりそうになかった。理紗子は、有難い御言葉を授かる僧侶のように、涙しながらひとつひとつのメッセージに聞き入った。

「えーと、次が最後かな、、理紗子先生、あの頃の私はつらい状況で身動きが取れず、ほとほと困って切羽詰まっていました。ですが先生が私の話をたくさん聞いてくれることで、私は次第に平常心を取り戻すことが出来ました。そんな中で、先生がトマトとケチャップの例え話をしてくれことが今でも忘れられません。あのユニークな話で私の人生は救われたと思います。本当にありがとうございました。誕生日おめでとうございます」

沢山の感謝のメッセージを読み終えた郁男が、最後の手紙に思わず笑ってしまう。

「トマトとケチャップ?、、、理紗子、君のカウンセリングは本当に変わってるよね。一体これはどんな話をしたんだい?」

「えと、それはね、あなたがもしトマトだったらケチャップにされてしまう状況から逃げ出すことは出来ないけど、でも、あなたは人間なんだから、例えどんなにつらい状況に陥っても、何とかして逃げ出せる可能性はきっとあるわ、っていう話をしたのよ」

理紗子は流した涙を拭いながら、ベッドの中で胸を張ってその時の話をしてみせた。まるで子供がいい点数を自慢するみたいに、無邪気で可愛らしい顔で話をするので、郁男は声を出して笑ってしまった。

「はははは、理紗子は本当に面白いね。たしかにトマトじゃ逃げられないや。よくそんな言葉が浮かんでくるもんだね」

「真剣にその人の気持ちになりきってあげると、そういう言葉って自然と出てくるものなのよ」

人の気持ちに真摯に寄り添う姿勢。それを貫いてきた理紗子の仕事ぶりは、本当に正しくて立派なものだったのだろう。多くの人を支え、感謝されている理紗子は自慢の妻だ。郁男は幾つもの感謝の言葉を読み上げながら、はっきりとそう実感した。メッセージを読みながら、二人はベッドの上で笑い合い、ときに涙を流し、そして互いの存在に感謝をした。

「あなた、ありがとう」

「どういたしまして、そして誕生日おめでとう」

「ありがとう、これからもよろしくね」

「もちろんだよ、これからもよろしく」

そうして二人はベッドの上で静かに抱き合い、そっと唇を重ね合わせた。上質なコイルを携えて品よく弾むベッドは、仲の良い夫婦を愛でるように、二つの身体をしっかりと受け止めた。それは理紗子がカウンセリングで多くの人の心に寄り添うように、丁寧で温もりのある柔らかい感触。人の心と身体に寄り添う、優しいベッドの感触だった。

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