安息日 第1章: その身を任せて

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カヴァース小説部

【連載】安息日 - 包み込んでくれる、カザマの籐椅子

第1章: その身を任せて

白浜から流れる南風は、疲れ切った美奈子の胸を通り抜け、心中に沈む一切合切のがらくたを、打ち寄せる波と共にかき消していく。麦わら帽子が飛ばされないよう手で押さえながら、ときおり突き抜ける澄んだ空を仰ぎ見る。そこには雲一つない青天が広がり、悩みを抱え込んでいた自分が、いかにちっぽけで儚い存在なのかを思い知らされる。

「馬は人の心が分かります。乗る人が怯えていれば、その気持ちは馬に伝わり、馬を警戒させます。ですから、馬に乗る時は心を乱さずに、リラックスしてお乗りください」

インストラクターにそう告げられると、美奈子はヘルメットを被り、馬に向かい合った。実際に馬と相対してみると、その大きな体躯に驚き、美奈子は少なからぬ恐怖心を感じた。しかし、そんな気持ちは馬に対して失礼だろう。美奈子はつまらない怯えを捨て、鐙に足をかけ、馬に跨った。

馬上から見える景色は、通常の視点とは大きく異なり、自分が巨人にでもなったような爽快な気分が味わえた。インストラクターが先導して、白い砂浜をゆっくりと馬上で闊歩する。上下左右に肉体が揺さぶられる馬からの振動。それは思っていたよりも美奈子の身体に響き渡り、全身がうっすらと汗ばむ快い燃焼感を生んだ。

「大丈夫ですかー?」

前方からインストラクターが声を掛けてくれる。

「ええ、大丈夫です。とっても気持ちいいですね」

「そうですか、良かったです。そのままリラックスした気持ちのまま楽しんでください」

「はい」

そうやって歩き続けていると、次第に美奈子も馬に慣れてきた。海風を感じながら馬と鼓動を重ね合わせる。人馬一体とまではいかないが、心地いい一体感が美奈子の全身に広がっているのは確かだった。

「海って、こんなに綺麗だったのね、、」

美奈子は海を眺めながら、ふと昨日の涙を思い出した。籐椅子に座り、夕陽を見つめながら流した大粒の涙。あの涙は一体なんだったのだろう。特別悲しいことを考えていたわけではない。むしろ頭の中は空っぽの状態だった。そんな空白地帯の心境のなかで、唐突に溢れ出した涙。あの涙はきっと特別なものだったのだろう。美奈子はぼんやりと眺めた海の中に、そんなゆらゆらとした答えを見出していた。

夕方、部屋に戻った美奈子は、バルコニーに置かれた籐椅子に座っていた。つるりとして艶やかな肘掛けの曲線。心地よくその身を預けることができる、丁寧に編み込まれた座面。飽きのこない籐の質感と触り心地。その籐椅子に座り、バルコニーから天然色のビーチを眺めると、美奈子の頭の中は空っぽになった。いま自分は、身も心もすべて委ねている。その解放感と安心感が、固く結ばれていた美奈子の心を、少しずつ解きほぐしていく。安息。美奈子は身体の芯から息を吐き出し、温かな南風をその胸いっぱいに吸い込んだ。

翌朝、美奈子は朝食をとったあと、ホテルのプールサイドで寛いでいた。籐でつくられたデッキチェアに寝そべるようにして身を預け、パラソルで陽射しを避けながらぼんやりと風を感じる。サイドテーブルには、バーテンダーに作ってもらったマイタイを置いていた。美奈子は本を読んだりすることもなく、ただただ流れる風を感じ、雲を眺め、椰子の木の葉音に耳を傾けた。途中、思い出したようにマイタイに口をつける。パイナップルやオレンジの果実の味わいが、白いラム酒とともに高揚的に喉を通り抜けていく。こんな陽気なものを飲みながら、何かを真剣に考えることに意味などあるだろうか。美奈子は胸元にぶら下げていたサングラスを掛け、またぼんやりと南風に身を任せた。

しばらく美奈子がそうやって南国の一部に溶け込んでいると、支配人の高木がプールサイドに現れた。美奈子は顔をあげ、サングラスを外して高木に声を掛ける。

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