幸せな場所を作ろう 第2章: うちに帰りたい

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カヴァース小説部

第2章: うちに帰りたい

 2年1組が、ナツの活動スペースだ。わたしたちの間では音楽室ということになっている。まあ、ナツの音楽はベートーベンやモーツァルトは登場しないし、ピアノはおろか、鍵盤ハーモニカも使わない。

 インスタントコーヒーでは物足りなくて、ドリップしたものを作りポットに入れた。それを、ナツやハルのところまで宅配に行く。

 わたしがスペースに入った時、ナツは巨大なシンギングボウルを鳴らしていた。わあん、と揺れ動くような音が部屋中に響いており、一瞬、眩暈を覚えた。

 「いらっしゃい」

 鮮やかなピンクのセーターの上に、だぼだぼのサロペットを着けたナツは、床に直接あぐらをかいていた。シンギングボウルは、チベットのお坊さんが使う楽器だ。やたら細くて色が黒いナツは、シンギングボウル抜きでも日本人離れした感じがする。

 コーヒーの入ったポットを見せると、ナツは立ち上がり、色々なものが置かれたカラーボックスから、猫のイラストが描かれたマグを持ってきた。

 うわんわんわんわん。

 ナツが離れてしまっても、床に置かれたシンギングボウルは鳴り続けている。

 「癒されるでしょ」

 と、ナツは言った。

 「不思議な感じはするよ」

 正直に、わたしは答えた。わんわんといくつもの音が重なったような、揺れるような音がいつまでも続いている。

 ナツは嬉しそうに、熱くなったマグを両手で包んで口をつけた。わたしたちは並んで窓の外を眺めた。晩秋の風景は美しいけれど、どこか切ない。見ているだけで、いたたまれなくなる。自分のいるべき場所に帰らなくてはならないような。

 「アキ、なんでいなくなったんだと思う」

 不意にナツは言った。短いソバージュヘアに半分隠れていたけれど、横顔が寂しそうだった。

 「ずっと考えていた。多分さ、この場所が寂しすぎるんだよ」

 寂しすぎる。この、山奥の廃校が。

 春や夏は、これからどんどん季節が広がってゆく楽しさがあった。けれど、秋を迎えると、どんどん寒くなり、命が散ってゆく。

 人里離れたところだから、なおさら季節の物凄さを感じてしまう。

 「アキは、うちに帰りたがっていたんじゃないのかな」

 わたしは言ってみた。「あ、もちろん、『うち』ってのは、実家とかお母さんという意味じゃなくてさ。もっとあったかくて、安心できて、幸せなところっていう意味」

 アキの性格や、この場所があまりにも閑散としていることなどを合わせて考えると、彼が唐突に姿をくらました原因は明かなような気がした。

 静かだったのでナツを見ると、目を潤ませているのでドキリとした。コーヒーの入ったマグを片手に、ナツは涙ぐんでいる。ちょっとやめてよ、何泣いてんの。思わず声を出してしまった。おおんおんおん。シンギングボウルの音が少しずつ小さくなっていった。

 「だってさ。ここはわたしたちの夢の起点のはずじゃない。四人で頑張っていこうって決めた場所じゃない。それが、『うち』じゃないなんて」

 と、ナツは言った。言葉の最後は震えて聞き取れないくらいだった。

 アキがいなくなったことで、ナツはどれだけ傷ついているのだろう。もしかしたらナツはアキが好きなのかもしれないなあ、などと、わたしは思った。

 その時、窓の外で誰かが手を振っているのが見えた。わたしもナツもどきっとして顔を上げたが、校庭の真ん中でカメラを首から下げているのはアキではなく、ハルだった。なあんだ、ハルか、と、ナツは呟いた。その声は少し荒んでいるみたいだった。

 写真撮影がてら、最寄りのコンビニでーー車で二十分はかかる距離だーー買い物をしてきたのだろう。エコバッグになにか入れて腕から下げている。

 わたしは窓を開き、コーヒーをポットを振って見せた。窓からはぎょっとするほど寒い空気が流れ込んできた。

 「さむーい」

 と、ハルは叫んだ。早く入りな、と、ナツは言った。ハルはころころと走り出し、間もなく校舎の中に飛び込んだ。ぱたぱたと足音が近づき、やがて、がらっと部屋の引き戸が開いた。外気の冷たさを纏ったハルが、頬を真っ赤にして転げ込んできた。

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